えんじゅ:117号校長先生講話 |
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「自調自考」を考える(そのCXII)幕張高等学校・附属中学校校長田 村 哲 夫 |
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平成十年、渋谷幕張高等学校は十六期生、附属中学校は十三期生を迎えて 希望に満ちた新しい学年をスタートした。 首都圏における最難関入試の一つと云われる中学高等学校入試を見事突破 して、自ら進んで「自調自考」の幕張生の道を選んだ新入生諸君に、私達は 満腔の誠意をもって祝い、これからの活躍を心から期待している。 いよいよあと千日を切る日数で来る二十一世紀に、最初の高校生になる中学 入学生諸君、又最初の高校卒業になる高等学校入学者諸君、未来はまさに 君達を待っているのである。 変えられないものは「過去」と「他の人」で、変えることの出来るものは 「未来」と「自分」という言葉があるが、まさにこれからの中高生は、大 きく変化し、将来の見通しのつきにくい二十一世紀という未来に対し、 「自分」を大きく止揚し、飛躍的に発展させ、変化させる努力をしなければ ならない。 近代日本最大の啓蒙思想家福沢諭吉は、こうした状況の下で未来への課題を 背負っている現代青年の最大の教師でありつづけている。諭吉はその著『 文明論之概略』で有名な「一身にして二生を経るが如く一人にして両身ある が如し」という言葉を残し、時代の境界に生きることの大変さ、タフネスさ が要求されることを教えた。 S・K・ランガーは文明と文化とを区別し、文化が自然的共同社会を統合 する生命感の連続を保証するのに対して、文明とは他へ移植しうる普遍性を もつ生活の実用的構造であるとした上で、「文化はもしも偉大な非順応主義 者を生み出さなければ破滅する(科学的文明と文化の危機)と述べている が、福沢は伝統的共同体と身分社会(徳川幕藩体制)に対して批判的な位置 から自已形成していくことで、明治維新期における我国伝統文化に対する 西欧文明側からの批判者として、又最大の対話者、非順応主義者としての 役割を果たしたのである。 二十一世紀の日本社会は、ムラ的共同体はすでに解体して、国の外から、 又内部においても異質な人間と文化が出会い、対話しながら生きる社会で ある。 こうした時こそ、伝統的な日本文化の殻の中で矮小化することなく、「民族 的な生の狭隘さを打破し、その偏狭な存在を他の諸民族との精神的共同体に まで高め、こうしてそれをはるかに包括的な統一性のなかに組み入れ、それ をいわば引きこもった、私的な自家本位の歴史の呪縛からとき放って世界史 の巨大な舞台に引き出す」(『危機の本質』オルテガ)活動が何よりも大切 なことになる。 満七才で岩倉具視を全権大使とする欧米視察団に加わり、ワシントンでの 十一年間の留学を果たし帰国、プロテスタント的女子教育(ピューリタン 的日常規範による自己抑制と武士の子としての清廉で高遭な精神の喚起を 基盤)を実現した津田梅子(帰国子女一号)の活動はある意昧での非日本 的、非アメリカ的活動として最も有効な実例と考える。
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