二〇〇七年三月、渋谷幕張中学高等学校は、
二十二期生を世に送り出し、そして四月卯月(うづき)「自調自考」
の旗職(きし)の下に馳せ参じた新入生を迎え、二十五回目の
入学式が挙行される。
卯月とは「植え月」が転じたとも「うつぎの花」が
咲く頃だからだとも云われる。野外での農作業が多くなる時期、
野山の新緑が美しくなり、縁の季節が楽しまれる時。学年のはじ
まる「入学式」にふさわしい。
入学の子の顔 頓(とみ)に
大人びし 高浜虚子
二十二期生は、自調自考の渋幕校の矜(ほこ)らしい意味のある伝
統と歴史の一頁を又又、刻んでくれている。
(進路についての報告・参照)
二十四年となる歴史が、本校の教育に伝統の矜(ほこり)を持たせてく
れはじめている。
本校教育の中核は「自調自考」であろう。その狙うところは
「人格的自律権」という考え方を自分のものとし根付かせることである。
つまり、生徒達一人一人が「自分が自己の人生の作者である」と考え、
その意識の下での権利と義務の総体を自分のものとすることが、人が生きること
の本質的価値であると考え行動することが狙いなのである。
「文化」という言葉がある。広辞苑によると「人間が学習によって社会(=学校=)
から習得した生活の仕方の総称。衣食住を初め技術・学問・芸術・道徳・宗教など
物心両面にわたる生活形成の様式と内容とを含む」とある。
さすれば、「自調自考」は渋幕生にとって「渋幕文化」の中核となる意識と
考えなければなるまい。
そして、学校での教育目標として「国際人」と「高い倫理感」があるが、
これも渋幕文化の中核に位置づけられるもので、それ故私達渋幕にとって
尊重されねばならぬ重要なものは「自由」についての正確な認識になる。
「渋幕的自由」という言葉がある。こゝで使われる自由の意味するところは、
「自己決定」「自己選択」という意味と考えることである。自由の重みに耐え、
修養によって洗練され、教養によって裏打された品格を感じられる人になってほしい。
そこで次の言葉を入学の祝いとして新入生達に贈る。
「人の教育とは、その人自身の知的努力の結果である。自分自身を教育しようとしないもの
の教育は出来ない。」 (学生の知的責任について・アーマスト大(=米・有名な教養大学)教授会宣言)
「功在不舎」功績は、怠(おこた)りなく努めることによってのみ獲得することが出来る。
(本居宣長うひ山ぶみ(=学者の心得を説いた著作))
素晴らしい友が待つこの自調自考の学舎(まなびや)での活躍を期待している。
|