六月、水無月。
一年の中で最も昼の長い月であるが、「梅雨」とぶつかる為、暗い印象がある。TSUNAMI同様学術用語として世界に通用するTSUYUのせい
で、北海道を除く日本全国がジメジメとなる。 六月の神事が悪疫流行の祓いとして多く行なわれるのはこのせいか。茅の輪を作って参詣人にくぐらせたり、人形を作ってこれで体を撫でその人形を川に流すなど、「夏越の祓」は日本古来の民俗信仰に基づいて生まれた。
五月の梅雨入り前の快適な時期を五月尽と云うが、この時期渋幕はスポーツフェスティバルを終了し、中学の研修行事=野田・鎌倉も終え、一学期の主要な行事を済ませる。そして、この春、日本を襲った東日本大震災は日本民族にとって大変な影響を残すであろう。
歴史的に見ても地球規模の震災によって人類の文化は影響を受けてきている。これについて寺田寅彦の名随筆"日本人の自然観""災難雑考""小爆発二件"等に述べられている感想はまことにまっとうで是非一読を薦める。「災難の普遍性・恒久性が事実であり天然の法則であるとするとわれわれ人間はこうした災難を食って生き残って来た種族であって・・・」「震災は忘れたころにやって来る」「ものごとをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだ」。夏目漱石の一番弟子と目され、科学者であると同時に文学者としても広く知られる「吾輩は猫である」の寒月先生らしい発言である。
1755年11月1日「万聖節」の祝日に欧州とアフリカの最西端に巨大な地震と津波が襲った。災害の中心地はリスボン。大航海時代からの繁栄をうけついできたポルトガルの首府で25万人の住民は半減したと云われる。
災害復興を見事に成し遂げた宰相ポンバルの名をとって後世ポンバル改革と云われる変革は、ヨーロッパの中世が終了したことを象徴的に表現したものとされている。国家行政の仕組を当時主要国家フランス・オーストリア・プロイセン・ロシア等が追求しっつあった啓蒙専制主義とよばれるものに思い切ってひとおもいに実践したのである。史上はじめて、外国政府からの支援物資がリスボンに舶来した。
一方1923年9月、日本の首都東京を直下型地震が襲う。死者不明14.3万人。当時内務大臣後藤新平の復興計画は30億円(現在価格で175兆円)。私権制限と都市計画に
より「帝都復興院」創設。但し実行されたのは5億円。かろうじて昭和通りと靖国通りが実現した。(寺田寅彦は都市計画として都市住宅を全て六階建にするとして随
筆を発表している。)
後世の評は、この震災=関東大震災=により江戸文化と大正デモクラシーが終焉し、軍国主義が台頭し、日本は戦争の道へと突入していった、というものである。
今回の大震災は日本人に何を考えさせることになるか。
私はグローバル・スタンダードと理性の重要性を一層求める方向に行くのではと考えるが、自調自考生どう考える。
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