4月、卯月。卯の花の咲く月の意。一説には稲を植える月、植月の略。農耕の始まりに社会も更始一新の季節としている。
1年中で日本の最も気持のいい季節で、日本で咲く花の大部分が咲き乱れる月でもある。
この時期の日本人の気持ちは、万葉集巻19にある大伴家持の名歌「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女」と表現されている。
四季の豊かさの中で、この素晴らしい時に、学校の「入学式」が迎えられる。
今春は、世界を揺るがした東日本大震災の被害の影響が重くのしかかる中での「入学式」となる。気を取り直して若者達の新しい出発を祝う。
学帽を耳に支えて入学す
上野 泰
ここで「中学・高校」の時代とはどんな時代なのかをしっかりと考え「入学式」という出発の餞としたい。
哲学者和辻哲郎は「人間」という言葉を「人」と「間」に分け「人」を個性とし、「間」を社会として説明し、そのバランスで「人間」が完成するとした。この考えでは中高時代という「人間」が創り上げられる重要な時、それぞれが「自己をしっかり見極める力」と「自己の周りと外をはっきり見渡せる力」を身に着ける時代で、その為に努力する時であるということだ。
「自己を見極める力」によって若者達は自己のアイデンティティ(本来あるべき自分の姿)を顕在化する。そしてその時アイデンティティは「自分は何者であるか」の自己定義となり、取り換えのきかない自己の存在証明となる。もともと「身元」とか「正体」の意味を持つアイデンティティという言葉は、こうして人々の構成する社会との交差をきっかけとして、総体的な自己イメージを「自己同一性」概念として定式化するのである。
ここで気付いてほしいのは、若者にとってこの際使われる「社会」は、これから具現化される「将来の社会」であることだ。そして将来の社会は、正確な時代認識と正確な予見能力なしには予測出来るものではあるまい。更に言えば、社会の運営(政治・経済・芸術)を限定するもの(=コンピューターのOSの役割を果たすもの)が文化(広義)である。文化を考えることなしには「社会」を予見出来ない。文化はカルチャーCultureと英訳される語で、この言葉は日本語訳では「教養」とも訳される。そして文化は「人間の生活のパターン」を意味し、教養は「人間が自分の生き方を自分で考え出す力」を意味している。
若者達は須らく、中高時代に未来社会を予見する力となる多様な文化を学び、教養を身につける為の努力(=例えば教養小説と云われる作品を読み、多様な芸術に触れ自分で考え、感動する力を育てること)に励まねばならない。3月11日震災に対するオバマ大統領メッセージには、私達日本人及び日本文化に対して、驚くべき不屈の精神extraordinary fortitudeという表現でその特性を稱賛している。
先行きの見通しのつきにくい閉塞状況にあると云われる日本で、将来を唯一の頼みとする若者にとり、この言葉は強い励みとなる。「私達めいめいが高度の自律性を取り戻し、精神的論理的な思想を生み出すという個人だけが果たすことの出来る任務を引き受けることでしか未来は開けて行かない」(シュヴァイツァー 「文化の頽廃と再建」)
自調自考生。どう考える。
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