「槐祭」が終了。熱気と集中が収まり校内は一転静かな学校生活に戻る。一学期のスポーツフェスティバルと対の学園の文化・運動の最大の行事が終了した。文化の部、今年のテーマは「二度と来ない青春を、今」。
 学園創立九十年を祝うこの年、九月、長月、白露(ハクロ)鶺鴒(セキ レイ)鳴く次候(七十二候)のこの行事に「一万三千余人」の方々が来校された。(本校史上最高)福祉目的のバザー、古本市をはじめとして校内の売り上げ高も史上最高。
 時代を覆う重苦しい閉塞感を若者達がどう打ち破り「突き抜け感」を演出したか。中高校生達は、「青春」をどのように感じたのか。若者達の「創造的表現学習共同活動」はまことに多能、多才。パフォーマンス満載の大変面白いものであった。時代はまさに「人類史上の最大の断絶点に近づきつつある」ので、今人類は「新しい存在に進化する」のか「夜来たる存在」になるのかの分け目に立っていると考える(英、歴史学者ホブズボーム)と、今回の行事で若者達がどのように「この時代が必要とする思想を手に入れたか」を示せたのか。
 見事な行事活動。素晴らしいパフォーマンス。個人的にはアイデンティティを気にしだしている中二生の自画像展が大変面白かった。
 今年も渋幕の文化遺伝子(英R・ドーキンス)の輝ける一頁となった。そして学園は清秋を迎える。
 秋の野に 咲きたる花を 指(オヨビ)折り
  かき数ふれば 七草(ナナ クサ)の花
  山上憶良(万葉集)
 これから秋深まるにつれ次々と花開く七種の草花。秋の七草と云う。萩(ハギ)、薄(ススキ)、葛(クズ)、撫子(ナデシコ)、女郎花(オミナエシ)、藤袴(フジバカマ)、桔梗(キキョウ)。
 ところで、時代の断絶点と云う表現を使ったが、これを明確にするには近現代が思想的な背景を確立した時期、十七世紀に溯(さかのぼ)る必要がある。
 十七世紀、近代合理主義の祖と云われるデカルトと人間存在の意味を深く考察した思想家パスカルが活躍した。欧州全体が宗教改革と対抗宗教改革の闘いの中で宗教的狂信に満ちあふれた時代に、どちらの宗教的教義にもとらわれないで物を考えることは、とてつもなく大変なことであった。トマス・モア(英)は処刑され、エラスムス(蘭)も危険な立場に立たされている。偏見や先入見にとらわれない自由な精神を懐疑の精神と呼ぶならば、これこそが、近現代の時代を切り開く力であったと云える。
 デカルトの『方法序説』(一六三七)は方法としての懐疑を明証性、要素への分析、体系的綜合、枚挙の四準則を明示してユマニスト的懐疑を学問の方法へとひきのばし発展させた。
 デカルト同様に数学者にして哲学者であるパスカルは、同じく近代知(科学的精神)の開拓者であるが、彼の著書『パンセ』(一六七〇)で「不確実にして無益なデカルト」と云いきったとき、彼はデカルト的知=近代知の行き着く先を、その限界を見通していたとさえ云えよう。
 一切の権威を認めず、あらゆることを根底から疑い、良識と知性の力だけを頼りに考え抜くことの力で、近現代は始められた。然しそれだけでは「人間の存在の意味」を理解することが出来ないというパスカルの指摘はまさに現代を覆う閉塞感の原因を適確に指摘していると考える。
 私の見た「槐祭」での若者達の答えは、「多様性の容認」、「国際化」、「人の絆」というものであったように思えた。SGH(スーパーグローバルハイスクール)に指定された本校の役割を示していると考えてもいる。
 自調自考生 どう考える。
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