えんじゅ:178号
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平成十七年三月一日(火)第二十期生三一七名の皆さん、卒業おめでとうございます。進学等のことでまだまだ忙しい中での卒業式でしょうが、 皆さんにとって一つの終わりと新たな始まりとの日となります。多くの後輩たちと職員一同の、皆さんへのはなむけの意を込めて、「えんじゅ」 第一七八号の特集記事をお届けします。 諸説紛紛の時世を君よ、己を持して、生きよ。 副校長 和田 新しい門出、おめでとう。同時に、八十年を生きてきた私の気にかけている一つを胸にして考えて欲しい。 それは、 「今の時世、諸説紛紛として混乱を極め、心理見定め難く、それ故に己を持して生きる。」そんな勇気と自信を、 自調自考を裏打ちとして持てと。 世界は、カントから遠く離れたサルトルの実存を最後に、哲学を忘れたように私には見える。 例えばアメリカ、自由の女神が、自由・平等を象徴するような光で世界を照らし、ジェファソンの独立宣言が、人民の 天賦の権利を明らかにし、世界の尊敬を集めていた。イラク戦争など、その凶の世界戦略は、世界の多くの人々の不信と軽蔑を引き出し、「奇跡的にも野蛮から文明 を経ず頽廃へ直行した国」と言ったクレマンソーの皮肉を思い浮かべさせた。国内では、三位一体の構造改革、教育基本法・憲法改廃、論証抜きの学習指導要領の改訂など、議論は喧しい。 君よ、時世の流れに棹差すことなく、己を持する為に更に学べ。 卒業生に贈る言葉 副校長 田村 二十期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。私が本校に来てから一年と七ヶ月になりますので、皆さんとは高校生活の約半分を一緒に過ごしたこととなります。短い間ではありますが、少し年の近い先輩 として、皆さんにお祝いの言葉を贈りたいと思います。卒業にあたり、大きな夢や目標を立てていると思いますが、是非その目標や夢に向かう気持ちをこれからも大切にしてください。新しい 人生が持つ皆さんの前には道があり、その道は色々なことがおこります。いいこともあれば悪いこともありますが、目標や夢に向かう気持ちを忘れなければ、必ず稔り多き道が前にあることでしょう。 創立記念講演会に来ていただいた小柴先生のお言葉を借りれば”やればできる”。まさに目標や夢に向かっているやってみるということを、本校で学んだ自調自考の精神で、実践していって貰いたいと思います。 渋谷教育学園幕張高等学校卒業という門出にあたり、皆さんのご多幸とご健勝をお祈りします。 力を蓄えて自らの人生を 高等学校教頭 星合 人生満ち潮、引き潮。満ち潮の時には何でもうまく行く、引き潮の時は何をやっても うまく行かない時がある。そんな時こそ自分の心をきっぱりと持つことが大切だ。 これからの人生は永いから七回までの失敗は何でもない。七転八起という言葉もある。 全て失敗は次なる舞台のための練習であると思って、くじけることなく進めば舞台は必ず巡ってくる。 次に私自身がやって成功したから言っておくけれども、「発想の転換をやって見ること」。 人は皆、どうしても越えられない苦しい時がある。そんな時は思い切って見方を変えてみてごらん。 必ず道が開けてくるだろう。今後、長く続くであろう君たちの人生は耐久レースである。 いつも自分のペース配分を考えながら、それぞれが生きる力を蓄えて、気長に自分の人生を楽しむことを 目標にして元気で巣立っていくがいい。自調自考の母校はいつまでも君達の後ろ姿を見守っていることを忘れないで、 それぞれの人生を送って欲しい。お元気で! 卒業によせて 第三学年主任 山崎 二十期生の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんとの最初の出会いで持った印象は「良く本を読んでいる」 ということでした。学年が上がるにつけてもこのまま読書量が減らないでほしいと願ったものです。 以下の内容は「卒業文集」と少し重なってしまいましたが、改めて読書について述べてみようと思います。 南宋の大思想家朱熹は、難しい書物を読む場合、次のように述べています。 「読書はちょうど堅い来を細工する時のように心静かに落ち着いて、またもつれた縄を解きほぐすように難しい所を 後回しにしてゆけばよい。ゆっくりと少しずつ検討してゆく、これが読書の方法である。」(朱子文集) 普遍的な読書法をを示したものとして興味深いが、朱子学では人は本来的に善である。「理」と「気」から成り立っていて 「気」が濁ると「理」が妨げられるという。この「気」を濁らさない方法として読書があると説いています。 次に読書と「一貫教育」について我が国の最澄の場合を見てみましょう。一貫教育といっても彼の場合は六年間ではなく、 十二年間です。彼の著した「山家学生式」には受戒後十二年間籠山して学問に励み、満期後、諸国に下って社会事業に努力しなければ ならないことがうたっていあります。弟子たちの日々の修行はというと、一日の大半は経典の読誦に費やしていたのです。 かくして比叡山からは後世名僧、高僧といわれる人物が陸続として輩出され続けました。 皆さん、嘗て最澄が修行の中心に読書を位置づけ、朱子学の実践が読書にあったように、長い人生、大いに読書に時間を割こうではありませんか。 |
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平成17年(2005)3月22日改訂