五月、皐月。
新緑がいちだんと深くなり、陽光がまばゆいばかり、初夏のおとずれを感じさせる美しい季節となる。日本はこうした自然の変化する姿を「生活暦」として二十四節気や七十二候、六星、星占いなどを使い「お日柄」と言い大切にしてきた。
つまり、東洋一早かった明治六年(1873年)のグレゴリオ暦採用以降、私達日本人は、太陽の運行観測結果を示す「天文暦」=カレンダー=を使うかたわら、日常生活の指針となっていた太陰暦も残し暦注の先勝、大安など六曜六輝も使っている。
つまり、私達は宇宙を科学的に観測し、天文を学問として研究する知的活動に熱中すると同時に、生活実感への暖かい肌ざわりを愛する生活感覚を「こよみ」として残す文化を大切にしてきたようだ。
平成二十三年、二〇一一年渋谷幕張中学高等学校は、その学校暦に「夢」と「希望」いっぱいの二十九期生を迎え新学年をきざみはじめた。春休み中の中三ニュージーランド研修、高校生達の英国、シンガポール等海外研修も終え、新学年をスタートしている。
入学の子の顔頓に大人びし
高浜 虚子
前途を祝うような素晴らしい季節を迎えた新学年は、例年、明るく展望に満ちた気分になるものだが、今年はどうやらちょっと違っている。
「がんばれニッポン」という言葉が日本全国で躍っている間は違っている状態が続いていると考えた方が良いだろう。つまり、「東日本大震災」と言われる震災の影響である。マグニチュード9の大地震、千年に一度という大津波そして福島第一原発の事故と続き、「原形復旧」そして「復興」「発展」という被災後の典型的な対応のパターンが当て嵌まらなくなっているからなのだろう。
世界史上例のない急速な「少子高齢化社会」に突入しているこの国がさらに災害の原形復旧と復興の長い戦いを続けることが出来るのか。
終わりの見えてこない「原発」収拾の道程への恐怖があるからなのか。あるいは「原発推進派」と「反原発派」の憎悪の応酬にも似たやりとりが原因なのか。とにもかくにもこれ等の全てが原因となって霧のように霞んで、見えにくい未来が目の前にあって、私達を立ちすくむしかないようにさせている。
閉塞感が蔓延している。
然し「青年即未来」と考え、青年と対峙する役割を担う者にとっては、この状態は放置しておくわけにはいかない。
我々は、自分達の歴史として「明治維新」という時代を経験している。そこでの未来に対する確固たる見通しが持てないまま、「夢」を持って困難な状況を乗りきった力を持った若者志士達の活躍を知っている。そしてその力は江戸初期陽明学者中江藤樹の「致知格物、知行合一」思想が生み出したことも知っている。
このことはたっぷりと情緒的であった日本文化の流れのなかに、日本文化的手法で「知の尊重」を持ちこみ、「知の実現」を成功させたものとして今日評価されている。今我々がなすべきことは結局の処、一層「知の尊重」「知と行の一致」を冷静に実行することである。
自調自考生どう考えるか。
|