「槐祭」が終了し、校内の熱気と集中が収まり、一転静かな学校生活に戻る。例年のように9月・長月の行事は秋暑のなか熱気を滞びた。来校された方の数は2日間で11000余と史上最高を更新し、大変な賑わいであった。
祭りのテーマは「飛翔―斜め上の世界へ」。既成概念にとらわれず、斜め上の世界へ飛翔しようという言葉に3・11大震災以降の重く苦しい日本をおおう閉塞感から飛び出し、突きぬけていこうとする若者達の気分が表れ、その行動がどう演出されるか楽しみであった。
新図書館棟の工事中という制約の下で心配したが結果は上々。「同時に全てを把握することは不可能」と嘆じさせた生徒部長の先生の感想にあるように、まことに多様多彩な才能のパフォーマンス満載のお祭りであった。まさに「合理的判断と不合理的な意思決定」(ダニエル・カーネマン)そのもので大変面白かった。素晴らしい若者たちの祭典。そして、学園は
秋暁や胸に明けゆくものの影
加藤楸邨
の静かな秋を迎える。
ところで、青少年にとって「未来」は自分の全てであろう。
その未来を「予測する本」は当然興味があるものとなる。こうした予測はデータとそれに基づく学術的分析や個人的見解が展開されるものだが、全世界で話題を呼んでいる「2050年の世界」(エコノミスト誌の予測)は大変興味深い。中学高校生達にとっては自分の年齢に38年を足した時代のことである。
1960年代に「驚くべき日本」として、その後の日本経済の驚異的発展を予測し的中させたエコノミスト誌の記述は「未来の日本」を考えるには大いに気になるところである。
予測はある意味当然乍ら、日本について「老いて縮んでゆく国」として触れている。つまり、予測は現在を語りながら未来を描く。日本の衰退予測は的外れな結論ではないだろう。つまり青少年にとって、この予測が意味するものは「現在進行形の現代を変えていく努力をしなければ、予測通りの未来がやってくる」ということなのである。若者にとっては「未来」は自分のことであり、2050年の予測は「その時代までを見通すことで現代(の問題点)を正確に理解出来、足元を見つめ直し、努力する方向を把握出来る」ということだ。
この現代理解に資するものとして6/30日付エコノミスト誌が発表した「真の国富」The real wealth of Nations 論文は役立つ。サー・パルサ・ダスグプタ教授(ケンブリッジ大)の研究では「国の富・豊かさ」は「フロー」のみでなく「ストック」を考えるべきであるということで、従来のGDP計算のように「経済財のながれ」量の多少で豊かさを測るのは充分でないという説である。教授によると@製造力(機械建物等)A人的資源(教育及び技能の総量)B自然資源(土地・森・鉱物資源等)の合計がその国の「豊かさ」なのだという考え方である。
この計算では、世界一豊かな国はアメリカで、1人当たりの豊かさでは日本が他を引き離し1位。ここで私達は現代を正確に理解し、「教育」の役割の圧倒的重要性を確認出来る。
自調自考生、どう考える。
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