えんじゅ:282号  


校長先生講話

 

校長先生講話

「自調自考」を考える

そのCCLXXII

幕張中学・高等学校校長

田 村 哲 夫



 

 平成二十七年六月。芒種(ぼうしゅ)末候。梅子(うめのみ)黄(き)なり。水無月。
 芒(のぎ)とは、稲の穂先にある針のような突起をいう。このような穂先のある植物、稲や麦の種を蒔くころを芒種という。これに因んでか、古来より、芸事の世界では、稽古はじめを六才の六月六日からすると上手になるといわれている。
 この時期、日本各地で田の神に豊作を祈る祭が行なわれる。伊勢の伊雑(いざわ)宮の磯部の御神田や大阪住吉大社の御田植(八乙女(やおとめ)の田舞)等が有名。
 関東では鹿島神宮や香取神宮のものが古くから伝わる。この時期には炎暑により水が涸れつきることを虞(おそ)れる。
 わが欲(ほ)りし雨は降り来ぬかくしあらば言挙(ことあげ)せずとも年(とし)は栄(は)えむ
万葉集 大伴宿彌家持 作
 「郷土」はClimateであり、「気候」であり、「風土」であり、「地方」であり、「気風」であり、「精神的風土」だ。(郷土的要素 Wスティーヴンスより)
 万葉集の古歌により私達は日本という風土を実感し、郷土の空気を再確認する。「『詩』はこのように人々の記憶の庭にそだったことばを摘んで、かたちにとらわれずに、ただ忘れたくないことだけを誌したものだ。」(長田弘詩集より「記憶のつくり方」)
 こうして「詩」を読むことによって私達は記憶によって明るくされ活かされて来る。
 ところで、この時期、学校はいくつもの行事を仕上げている。スポーツ・フェスティバル、中一野田研修、中二鎌倉研修。そしてこれ等の行事は全て生徒諸君が中心となって完成させる。達成感は強く、自己肯定感を育(はぐく)んでくれている。
 加えて春の「科学の甲子園」での「全国優勝」。まことに悦(よろこ)ばしいことである。そして今学年、SGH(スーパーグローバルハイスクール)二年目、春の地区懇談会のご父母の来校される方々の数は前年の20%~30%増で担当者は天手古舞の大悦(よろこ)びであった。(勿論私も含め)
 校長講話では先般、大変面白い経験をした。
 「二〇四五年には、非生物的知能が全人類の知能をはるかに超越し、人間の定義が根底から覆るシンギュラリティー(特異点)に突入する」(レイ・カーツワイル=グーグル)という話しを紹介し、これに対しホーキング博士(英)が「完全な人工知能(AI)は人類の終焉(しゅうえん)だ」と警告している一方日本のAI研究第一人者松尾豊博士は「人工知能が人類を征服するのは夢物語だ」と主張していることも説明した。
 私は「二〇四五年問題は個人的には全く関心がない。なぜなら私は確実に死んでいるから」と云ったら、生徒達は皆笑いだした。「然し確実に君達は全員生きているよ」と続けたら、なんと全員が真剣な顔になり、雰囲気ががらりと変わった。余りにも変化の激しい時代の教育の場での心構えを痛感させられたところである。
 又中学・高校では、これからの小学校の「英語学習」、「道徳」の教科化、「大学入試の変革」、「アクティブラーニング」に表徴される教育・教員改革、究極の情報化としての国際化、等々の問題に取り組み未来に備えなければならない。個々にじっくりと考えていくが、ここで緊急のテーマとして出て来ているのが、十八歳参政権問題である。
 中高生に対する主権者教育問題と云ってもよい。ここで私達は全回取り上げた古典の問題に立ち帰ることになる。最善の民主主義への道のりをどう中高生達に伝えていくかの問題である。そしてこの問題は校長講話で取り上げているジュネーブの市民ジャンジャック・ルソーの問題であり、コンドルセの提言した公共圏への関心でもある。
 自調自考生 どう考える。