「Career Education(進路教育)のあり方」をグローバルな視点で考えることがある。
例えばシンガポールは人材こそが資源との発想で、英国の教育システムの下、教育の質とレベルに強いこだわりが感じられ、ICT、ALを駆使した教育法は見事なまで先鋭化している。
中国は「高考」と呼ばれる共通テストですべてが決まり、「重点大学」と呼ばれる特定の大学に入学できないと未来がそこで閉ざされる。「科挙」の冷厳とした伝統を現在にも継承している。
一九八八年にアジアで初めてノーベル経済学賞を受賞したアマーティア・センという人物がいる。彼の研究のテーマは「経済指標」。ここでいう「経済」とは「幸福」、「指標」とは「尺度」を表す。換言して、彼は「幸福の尺度」を研究テーマとする。そして「尺度」の基準を計数的なGDPやGNPではなく「自由」に置く。それを二つに分類し、一つを「なれる自由」、もう一つを「知る自由」と呼んだ。前者は「何になれるかの可能性の量」であり、後者は「世界のことをどの位知れるかの量」と定義する。この研究の背景には彼が育ったインドのベンガル地方の「貧困問題」がある。一九四三年の大飢饉では二〇〇万人以上が餓死したという。
やがて、研究者となった彼は、一つの壮大な実験を行う。母国インドのある貧困地域に対して特別な教育を実施する。すると、その地域の「自由」の量が高まり、女性の出産率こそ低下したが、労働意欲は急速に高まる。「優れた教育を行うことで自由の量が増大し、世界観が変わり、生産性が向上する」という人間開発理論をここで証明する。これが後のノーベル賞に繋がる。
どちらの「自由」も謳歌できる日本の高校生はとても幸福に思える。「努力次第で」という冠詞は付くが、「なれる自由」を思えばそれは必要条件だと思えなくない。
今日、テロの問題が重く世界を覆っている、「テロ」には一人の人間の持つ多様な可能性、国籍・身上・性別といったアイデンティティをすべて否定して、ただ一つの価値観の中に押し込めようという偏狭な教育が根底にある。そこには一切の「自由」は介在しない。そしてこのロジックにも「貧困」と「格差」の問題が潜む。だから難しくなる。
今年の夏も退屈で孤独な時間を、いろいろな知性の吸収に有意義に使ってもらいたい。
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