三十三期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。AI利用が広がっていくこれからの時代は、今までの世界と違う新しい世界がたくさん用意されています。IT環境は日々進化し、グローバルな関係は今後更に複雑化していくことでしょうが、本校で培った自調自考の精神は、学習を怠ることなく知見を広げ、新世界に対峙していくときには、才能ある皆さんの力を発揮する大きな助けになるはずです。それでも人生には色々なことが起こるものですが、挫けず挑戦する気持ちは失わないでください。周りの人たちや仲間を大切に、自分に出来ることを探してチャレンジしていく充実した人生を送って貰いたいと思います。皆さんの活躍を祈念します。 |
卒業おめでとうございます。 皆さんは将来の自分を考えたことがありますか。医者?それとも研究者?いずれにしても、社会人に成るまでの数年間を使って将来の自分に相応しい人間に自身を育てて下さい。 そのためには、学校での勉強は当たり前で頑張って貰って、その他は、色々なボランティアに積極的に参加して現実の社会の人々の生活から学んで欲しいのです。作業の大変さ、約束の大切さ、他との協力の必要性などこれまでと異なる重さで迫ってくるでしょう。そして、一緒に働く人々と共に勝ち得た達成の喜びなど、自分自身の血肉となって自身を育ててくれるはず。 他への思いやりのある、心豊かな大人になって下さい。 再会を楽しみにしています。 |
限りない可能性に満ちた君たち若者には、心に響かない言葉かもしれません。 先日、日経新聞の「交遊抄」というコラムで見つけた言葉です。字の通り、何でもない当たり前のことを、徹底的に行うこと。結果、他人の追随を許さないという意味です。つまり、日常を大切にして、平凡を非凡に変えるということです。すぐに、イチロー選手やノーベル賞を受賞した科学者を連想する人もいることでしょう。 今日はこの上なく晴れやかな日。大いに夢を描いてください。同時に、目の前の現実に真摯に向き合うことも忘れないでください。夢を叶える秘訣かもしれません。長い人生に挫折はつきもの。自分の人生に自信を持ち、存分に楽しんでください。 |
三十三期生の皆さん、ご卒業おめでとう御座います。 ここ数年、陸上・卓球・ジャンプ競技・フィギュアスケート・将棋など、特に個人競技において若い世代の台頭が世間の耳目を集めています。彼等が類い希な才能の持ち主であることは勿論ですが、指導技術の向上や施設の充実などが背景にあることも否定で来ません。しかし、そのランクを維持し、更なる技術の向上を目指す彼等は、常日頃から表に出ない苦しい努力を重ねている筈です。 同世代の皆さんの未来も無限の可能性を秘めています。「自調自考」の精神を胸に、自分の才能を開花させるべく、何事にも積極果敢にチャレンジして下 さい。 |
始まりあれば、いつか終わる。一言に収めてしまえば余りにもあっけないですが、この一言から思い起こされることは一つの思いではとても収まりきれるものではありません。その理由に記憶や経験の量も多様さもあるでしょうが、それ以上に消化しきれない思いがあります。それは割り切れなさだったりもする。 中高の六年間は(本校在籍に関わらず)、生徒本人・家庭ともに手探りと葛藤の日々です。信じることと疑うことの交錯、それは根拠を求める模索であり、生活する枠組みの中で〝自分〟を見出す実践でもあります。 私たちは確実と安定に安心を求めます。前例を探して正しきを求める。あるいは信じたものにも保証を求める。その求めは自ずと枠組みをつくり、枠組みは発想と実践に慎重さと無難さを迫る。ここで自由への希求は押さえ込まれるか、鍛えられる。 中高のうちは家庭と学校を通じて社会の多数的価値観に影響されます。高校卒業は、今や成人の機とも重なりますが、社会の空気に直接浸ることであり、社会の動きに直接関わることでもあります。つまり社会の在り方・行く先が直接自分の課題になる。卒業する生徒たちが既にどんな問題意識を社会に関わって抱いているか。受験の合否だけでは卒業の資質を問えないでしょう。卒業をめぐる価値判断は、あるいは個人を超えて社会の事情に関わります。 本来の意味と姿を求めて人を育てる社会であるか、中高六年間で最上位に位置付けたのはこの問題意識でした。その問題は、学校や学年の場がどんな〝文化〟を生徒たちに示しているかでもある。形も方法も手探りに、卒業時にどんな言葉をもつ人物であるか、安易には算段できないイメージを求めて目標にしました。 卒業生たちは、今後は社会文化の中心的な担い手、作り手に移ります。他人のせいではなく自分が関わる自覚のもとで、どんな社会であり自分であるかに向き合い続けて欲しい。 その期待を込めて、みなさんの卒業を祝福します。 |