えんじゅ:118号

校長先生講話


「自調自考」を考える

(そのCXIII)


幕張高等学校・附属中学校校長

田 村 哲 夫

     
平成十年、一九九八年、二十一世紀が目睫の間となる。

新しい時代を迎え、人工的区切りでなく、未来に向けて希望を予感出来る 世紀末としたいものだが、現実はなかなか、暗いニュースが多く心を重く する。

六月は、北海道を除く日本中が梅雨のなかにある。

五月以来の走り梅雨が、そのまま居座っての本格的BAIU(梅雨、学術 用語として世界に通用する)である。雨の少ないまま盛夏になるのがカラ 梅雨だが、カラ梅雨の年には豊作は期待出来ない。うっとうしい雨だが豊作 に悔雨は欠かせないものである。「自然」は、このように「暗いことは 明るいことでもある」ことを私達に教えてくれている。この時期に咲く、 紫陽花(アジサイ)、花菖蒲(ハナショウブ)が美しいと感じるのも、 又ジメジメ天気だからこそ、鉄線(テッセン)や桔梗(キキョウ)の青が いよいよ涼やかに思えるのであろう。

現代を生きる青少年は、暗いニュースが頻発するなかで、だからこそ一層、 これから来る二十一世紀への展望を持って、必らず実現する明るい未来社会 の夢をという気持ちを持ちつづけていてもらいたいものだ。

二十一世紀といえば、かって教養の一部門でしかなかった「科学」が、 すべての教養の枢要な基礎となって、人間文化の中核となる時代であると 云われている。中高生達の学ぶ教科で云えば、物理学を抜きにしてはこの 世界、宇宙を知ることは出来ないし化学を抜きにしては、物質を、化学合成 を語ることが出来ない。又生物学を抜きにしては、人間を、いや生命を語る ことは出来ないのである。

処が、近年「理科離れ」という現象が、中高生のなかで生じているという。 理由の一つは「大学入試」の科目だと云う。

こんなことで、自分の人生の中核部分を送ることになる二十一世紀に対する 準備が出来ていると考えられるのであろうか。

最近、米国や日本で出版された『科学の終焉』(ジョン・ホーガン著)は 「科学の輝ける日々は終わりつつある。革命的な大発見はもうない」と言い 放って話題をまきおこした。この本が主張しているように二十世紀初頭から 中ごろにかけて発見、発達した量子力学や、DNAの二重らせん、相対性 理論等に比肩する業績はそれ以後過去数十年間何も起こっていないことは 事実であるが、だからと云って科学は終わりだというのは全く誤っている。

例えば、生命の設計図と云われる遺伝子は二重らせんの形をしたDNA (デオキシリボ核酸)でできていて、そこに記録された遺伝情報が親子代々 受け継がれていて、これこそ生命の驚異の代表的発見とされ「二十世紀 最大の発見」と云われて来たが、そのDNA二重らせん構造の九十五%は 遺伝情報を記録していない「空白の部分」(人間の遺伝子の場合)である ことが最近の研究でわかつている。(「精神と物質」利根川進・立花隆著) どうして無駄と思える大量の空白部分が残されているのか。「夢」「謎」 はいっぱいだ。


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平成10年(1998)6月26日改訂。