えんじゅ:119号校長先生講話 |
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「自調自考」を考える(そのCXIV)幕張高等学校・附属中学校校長田 村 哲 夫 |
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一学期が終了し、夏休みを迎える。 生徒諸君は、その毎日の生活の過ごし方の主導権を学校から取りもどす。 中学・高校の生徒諸君の日常は、平均的には、睡眠七時間半、学校で 六時間、学校外学習二時問半、テレビ一時間半、その他(文部省調査)と なっているが、こ机からは十時間以上の時間をどう使うかの毎日となる。 進路を目前として、この期間こそ天王山と考え、計画を錬り、実行に臨む 人、自分の課題(テーマ)を決め、その克服又は完成の為に時間活用を 考えている人、又どうするか迷っている人等、いろいろあろうが、とにも かくにも、夏休みこそ、自分で立案し実行出来る貴重な時間帯である。 そしてその結果も、その後の(学校)生活に大きな影響をもつものである ことを考え、どうぞそれぞれが充分に「自調自考」の精神を発揮して ほしい。 処で、先般、オーストリア政府の案内でウィーンを訪れる機会を得た。 ウィーンの瀟洒な街のたたずまいに心の安らぎをおぽえると共に、丁度、 百年前、又二百年前の十九世紀末、十八性紀末のウィーンを、二十世紀末 の今訪間して確認出来るという強烈な印象、想いが体験出来た。十九世紀 末の不安と一脈の希望が表現された世紀末芸術家達の作品、グスタフ・ クリムト、エゴン・シーレといった著名な画家の作品にその後の百年この 二十世紀の苦悩と混乱、そして一すじの希望を予感させるものを感じ戦慄 をおぼえる。 然し、何よりも印象的だったのは、クリムト描く処のべートーベン 「第九シンフォニー」、所謂「べートーベン・フリーズ」であった。 ウィーンの街並みに異様な形で存在を主張している前衛芸術家の発表の 場であるセセッションの地下に壁画として残るこの有名な絵。 十八世紀末、君主制から共和制へ大きく社会が変動する時代に、古い権成 に反抗して個人の人権を主張し、個人の尊厳、白由を理想とし、創造的 人間を尊重する思想を言葉でなく「音楽」で表現したべートーベン。 身分制社会を軽蔑し、音楽家にとって致命的な障害=聴力を失うことに も、一時は自殺を決意しながらも(有名なウィーン郊外ハイリゲンシュタット の遺書)自らを「人は徳のみによって幸福となる」との高揚した精神を 持つことで立ち直らせ、第三交響曲「英雄」を完成させたべートーベン。 そして彼はシラーの「歓喜」を歌にして人類の永遠の平和を希求する 第九シンフォニーを三十年かけて完成している。長野冬期オリンピック 開会に世界に響いた曲である。この第九を絵にしたクリムトは、人類の 苦悩と不安を生み出した世紀末は、次の時代の希望と夢をひそませて いることを主張している。強烈な印象であった。 中高時代、夏休みに熟読したロマン・ロラン『べートーベンの生涯』 『ジャン・クリストフ』『魅せられたる魂』等、又こうした西欧文化の 深さがわかるトーマス・マンの『魔の山』をもう一度じっくり読みたく なった。
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