えんじゅ:125号校長先生講話 |
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「自調自考」を考える(そのCXX)幕張高等学校・附属中学校校長田 村 哲 夫 |
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三月、平成十年度渋谷幕張高十四期生の卒業の時、「ニ十一世紀からの留学三期生」である。 そして、そのニ十一世紀の為に、今種々の催し物が開かれているが、その一つ 「日欧現代演劇交流の祭典委員会」主催のブレヒト作品上演シリーズ(世田谷パブリックシアター) を見た。なかでもイデオロギー色、異化効果といった難解な言語で語られ、「うまい劇作家」と 評される「ベルトルト・ブレヒト」の代表作「ガリレオの生涯」は、九九年日本アカデミー賞 優秀主演男優賞受賞、油ののった柄本明によって、見事に演じられていた。(三月六日初演の印象) 十七世紀活躍し、今日のサイエンス、数学、物理学の創始者として有名なガリレオ(伊)が 天文学者としてコペルニクスの地動説を証明したことで宗教裁判にかけられ、地動説を撤回して しまうという心の内面を描いたこの作品は、私達にいろいろなことを考えさせる。 ミュンヘン大学で、哲学・医学を修めた作者ブレヒトは「ガリレオの生涯」を三回書き直して いる。第一稿は第二次大戦前ヒットラーに追われたデンマーク亡命時代、第ニ稿は、更にアメリカ に渡り、アメリカで同じ亡命者として知り合ったアインシュタイン(プリンストン人学先端科学 研究所教授)の影響を受けてのもの。この時ブレヒトはヒロシマ・ナガサキヘの原爆投下の報を聞き、 「知の責任」を直感して、ガリレオが地動説を撤回したことへの断罪を厳しいものとし、 生き延びて法王庁に幽閉されつつも「新科学対話」を書きあげたガリレオの評価を変えている。 ブレヒトはその後公然化しつつあったマッカーシズムの赤狩りのなかで、米国から祖国ドイツに 戻り、やっと自国での演劇実践の場を得て「ガリレオの生涯」の第三稿を完成させる。ベルリン版 と言われるこの作品は、アインシュタイン理論(E=mc2)の実践的帰結(原爆・水爆) への批判が、アインシュタインの死を知って、二稿の立場より一稿の立場に戻っているのは興味深い。 ともあれ、政治、経済、科学、丈化そして生活様式までもすべてが連動しながら変容していく であろうことを予感させる今=パラダイム・チェンジ=、科学が発生し人々の知への欲求が大きな ものに成長し始めたころ、(十七世紀前後)医学におけるヒッポクラテスの誓いに類する もの−何の為に科学はあるのかとの問いに答えるもの−が出てこなかった事実の背景にあるものを 知ることはまことに重要である。 前回に私は科学の「全体は部分の総和以上である」と考える ホーリズム(全体論)的手法の重要さを述べた。二十一世紀にマルチディシプレナリー (複数の分野にまたがる)が必要で、それには理系文系共に学ぷ姿勢が自調自考の幕張生に いよいよ必要なのではないかと考えている。 追加:昨年ライフ誌の発表で過去千年間の出来事中「ガリレオの地動説」が五位だったことが 納得出来た。 | |||
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