えんじゅ:127号
於 国立劇場 6/5 | |
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歌舞伎教室も数えて16回目となった。今年度は保護者もお誘いし、82名のご参加を頂いた。 鑑賞教室も様変わりの体。以前は厳粛な中で解説がなされ、岩井半四郎さんあたり、私語もあろう ものなら、厳しい叱声が飛び、場内しんと静まったもの。 時代とでもいうのか、どこやらの女子高生諸君、解説者をつかまえて「ナカムラさーん!」の連呼。 小道具が紹介されれば、「ホシーィ!」とくる。当の中村さん心得たもので、笑いの壺をしっかり 押さえ、あたかも客席一体型コミックショーのような楽しさだ。筆者には一抹の寂しさも否めない が、生徒にとっては肩の力が抜けて、本編の『番町皿屋敷』、存分に楽しめたようである。 では、生徒の声を…
私見『番町皿屋敷』!!
華麗に咲き乱れた濃紅色の桜。舞台中央に重く堂々と据えられた石段。悠長な宮神楽の音。 岡本綺堂作、新歌舞伎『番町皿屋敷』の幕開けである。 『皿屋敷』といえば、無実の罪で斬殺されたお菊の怨霊が夜毎に皿を数えては・・・という 有名な怪談。 しかし、今回私達が観るのは、旗本とその腰元の、身分違いの純愛悲劇。大正時代の恋愛至上 主義を盛り込んだ綺堂のアレンジ作品である。 物語は麹町山王下の場に始まる。喧嘩三昧の日々を送る旗本青山播磨。茶店に居合わせた町奴 らに難癖つけられ、「望みの通り播磨が直々に相手になってくるとは」と、羽織を脱ぎ捨てる や刀の柄に手をかけた。つっとすり寄る町奴達。主従3人、相手は5人、いよいよ白刀が宙に 煌めき、思わず息を呑むそのとき、行き合わせた播磨の伯母真弓が仲裁に入る。「不承知とあらば 私がお相手」と荒れくれの町奴相手に体を張って一歩も引かず。気圧されて折れたのは町奴の方だった。 喧嘩を取り上げられた上に説教までされた播磨は、「伯母様は苦手じゃ」と苦笑する。体格立派で 堂々と男らしかった彼の、伯母に頭の上がらぬ情けないほどの小ささがおもしろい。 場面変わって青山邸。主人と愛を交わす腰元お菊は、播磨の縁談の噂に心を乱す。思いあぐねた末、 自分への変わらぬ愛を確かめるべく、重代の家宝である青磁の皿を故意に割ってしまう。 逡巡するお菊の苦悩。愛すればこそ募る疑心。時代を超えて息づく女の特質ではあるまいか。 「粗相とあれば・・・」と深く咎めもせず、優しくお菊を気遣う播磨。やはりその愛は深かった、 お菊の苦悩逡巡する苦悩に比べ、播磨の短絡的なまでに潔い純粋な恋心。これもまた対照的である。 ところが、皿が故意に割られたと知るや、播磨は豹変。怒り、嘆き、遂にはお菊を手打ちにしてしまう。 ここで、播磨を残忍と、同時にお菊を不憫と、人は思うかもしれない。しかし、純愛を持って接した 播磨に疑心を突きつけたお菊の方がむしろある意味で残忍ではないかと、私は思う。彼にとって この愛は純粋・潔白なものだった。また、そうあらねばならなかった。それ故、相手を試すような お菊の行為はどれほど播磨の心を傷つけたことか。もはや無垢ではなくなった対象は必要ない、 信じてきた本当の愛だけがあればよい。こんな思いが播磨をして最愛の人の命を自ら絶つという 行為に駆り立てたのだろう。 ・ ・ ・ ・ ・ 当初、歌舞伎には文語体特有の退屈さを予想したが、鮮やかな色彩や役者の様々な声色に目も 耳も満たされ、楽しかった。今後鑑賞に出かける後輩諸君も、楽しみにしていて欲しい。 |
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