君に送る「埋火(うずみび)」「あ・うん」
附属中学校副校長 和田
「何にこの師走の市にゆく烏」と、12月の慌ただしさを、46歳の芭蕉は詠んでいます。
今、私は少年の日の、大晦日から元旦にかけての我家の風景の中にいます。そこにはこんな家族の姿がありました。この日の家族は、どんなことがあっても在宅していなければなりませんでした。夜、年越しそばを口にした後、大きな火鉢を囲んで団欒の時を共有しました。大きな火鉢に埋火(うずみび)がありました。それだけが暖の源で、それで十分でした。それを懐かしみながら現実の我に帰って君の胸にもそのその埋火があるのだと言います。いつもは灰をかぶって静かに寝ていますが、その上に別の炭を置くと、真っ赤に燃えさかります。君も何時か君の埋火に炭を置くだろう。どんな炭か、待たれます。ここで再び私は少年の大晦日に帰ります。
近くのお寺から除夜の鐘の音が聞こえると、私たちは揃って初詣に出かけます。冷気が体を包み吐く息も白い。仁王門には口を開けた金剛像と、口を結んだ力士像が、力強く恐ろしい形相で立っています。なぜ一方が口を開け、他方が口を結んでいるのか、考えることさえしなかった私でも、同じように一方が口を開け他方が口を結んでいる一対の狛犬を不思議に思ったことでした。後年、口を開けているのをあぎょう、口を結んでいるのをうんぎょうといい、「あ・うん」の呼吸とは「ぴったり息の合う、察しあう」ことの意であることを知りました。ここでもう一度、現実の私に帰ります。そして、君が「あ」で、「うん」と言える何かを持つことを2000年元日に祈ります。
新しき時の初めの初春の
今日降る雪のいや重け吉事 (いやしけよこと)
万葉集巻20巻尾の大伴家持の歌で千年紀に在る君を祝います。
本にこだわった留学生
第1学年主任 山崎
年頭にあたり謹んでご挨拶申し上げます。今年は国際的にも読書年ということで、生徒諸君にも今まで以上に読書をしてもらいたいと思います。
もう10年以上も前のことになりますが、アメリカからの留学生が帰国するとき、何が欲しいか尋ねてみると、「源氏物語」の英訳版が欲しいというのです。私は、そんなものは物の豊富なアメリカではいつでも入手できるだろうと思って、別のものを探していたところ、彼はどうしてもそれが欲しいというのです。彼の家は田舎なのであまり手に入れられないとのこと。結局私はそれをプレゼントしました。彼は帰国後それを手元に置かなかった日はないらしく、最近再び来日して日本人相手に講演会を開いていました。日本の1冊の本にこだわった留学生の話でした。
高い目標を掲げて
第2学年主任 高橋
新年を迎えて、きっと夢や希望を抱いていることでしょう。高い目標を掲げ、それを達成するために計画を立て、実行できるように努力して欲しいと思います。
「1月は行ってしまい、2月は逃げて行き、3月は去っていく」と言われるように、3学期は月日が飛ぶように流れていきます。4月からは3年生になり、Bブロックに入ります。教室も高校棟に移り、高校の教材を学習し、半分高校生扱いされるわけです。ただ、2年間で学校生活にも慣れたので、適当に過ごそうと思えばそれで済んでしまいます。充実した1年にできるかどうかは、皆さんの心がけしだいです。高い目標を掲げ、「まだ時間がある、後で考える、明日からやる」ではなく、今日から実行して、充実した1年にして欲しいと思います。
20世紀の終わりと新「千年」のはじまり
第3学年主任 池口
コンピュータ誤作動による所謂「2000年問題」。誰もが「何があるか判然としない
が、ナニカ起きるかも…」という漠たる不安を抱えながら迎えた西暦2000年。世の中がひっくり返る程の壊滅的な大惨劇といったものはどうやら回避できたようで、まずはご同慶の至りと言うべきか。
それにしても、人類が自らの幸福を託したはずの科学と技術革新。その進展の果てにわれわれが見る初夢がこんな悪夢であるとは…などと考えるとき、無事に新年を迎えた安堵の吐息はそのまま嘆きのため息に変わる。
何が起きるかわからない時代状況。常に見えない誰かの監視下にあるような息苦しい不安と閉塞感。20世紀最後の1年にして新しい「千年紀」1年目の記念すべき年頭の感慨である。
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