えんじゅ:141号
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附属中学校副校長 和田 2001年、新しい千年紀の始まりです。この時、新しい生に向って一歩を踏み出す君に、古人の言葉を紹介します。 鎌倉初期(1200〜53年)にかけて日本曹洞宗を開き、永平寺を建てた禅僧に道元というすぐれた坊さんがいました。弟子の一人に懐奘がいました。この人は、師道元の日々の教えを書き残しています。「正法眼蔵随聞記」がそれで、道元の教え、哲学を理解する上でなくてはならないものとして、今日も多くの人に読まれています。その中に次の一節があります。 「聞くべし、見るべし、得るべし。亦言く、得ずんば見るべし、見ずんば聞くべし。」 私はこんな風に解釈します。 「物ごとの実体を掴むには、先ず第一に聞くこと、次いでよく見ること、その結果、その実体を明らかにすることができる。逆の言い方をすると、物事の実体を明らかにできなければ、よくよくその物事を見なさい。見えなければ、よくよく聞きなさい。」と。どうでしょうか、何よりも聞くことの大切さが、ここで説かれているように思います。 そこで、ソクラテスの故事を思い出しました。アテネの、アクロポリスヘ登る途中に、ソクラテスが人心を迷わすと捕えられ、自尊を守って毒杯をあおいで自死したという洞窟があります。生前ソクラテスは街の角に立って、道行く人に、例えば「人はなぜ生きなければならないのか」など、を問いかけ、その答えを聞くことで、自分の考え、哲理を深めたと言われます。ここでも聞くことの大切さが示されているでしょう。 君も年頭に当って、聞くことの大切さをしっかり持って、知らないことを恥とするのでなく聞くことの姿勢を確実にして、未知に向って欲しい。実を結べ。
第1学年主任 菅野 高校時代の友人十数名と会う機会があった。記憶にある顔との違いにとまどいつつ、昨日別れたかのように会話が弾んだ。 多岐にわたる仕事の様子を聞いていたかと思えば、高校時代の話に戻るということが繰り返された。二十数年間を行ったり来たりする中で、同じ教室で生活していた友人たちが様々な道を歩んできたことを実感した。誰も今の仕事を連想させる高校時代ではなかったことが、会話をより楽しくさせていた。 思えぱ彼らにはそれぞれが夢中で取り組んだものがあった。不思議なもので、今でも互いがそれを良く覚えている。 自分が夢中になってやっていることは自然に周りの人の目に印象的に残る。「個性」とはそんな日々の生活の中からにじみ出てくるものなのかもしれない。
第2学年主任 山崎 1000年後のことを考えて仕事をした人がいた。宮大工の西岡常一さん(故人)だ。テレビ放映されたので知っている人も多いと思うが、薬師寺の金堂を再建した棟梁である。彼は最終段階で屋根の隅木 ―― 左右に大きく張り出した、そりの部分 ―― を全体的に5センチ高く調整した。元々の設計図にはない修正であった。彼がそう考えた理由は、隅木は瓦の重さで少しずつ下がり、1000年後に屋根の高さは設計図通りになると予測したからだ。何とも驚愕すべきことではないか。 今年の秋、中3の生徒諸君と奈良へ修学旅行に出かけるのを楽しみにしている私だが、薬師三尊像とともに、この美しい屋根をじっくり見つめ、1000年後のことを考えて再建にかけた人達の、熱い思いを感じとってきたいと思っている。
第3学年主任 高橋 3年生の皆さんは中学校の最高学年として、昨年は学校行事や部活動でよく活躍してくれました。3年生になって急にたくましくなったように思えます。中学校棟で休み時間に1年生が走り回っている姿を見ると、とてもなつかしくなります。 早いもので4月からは高校生です。高校生になると言ってももうすでに高校の教材を学習していますし、現在と同じ学校に通うのですから、中学校に入学する時ほどの緊張感はないかも知れません。でも高校から入学してくる新しい仲間や新しい先輩たちとの出会いが待っています。また現在の友達とも落ち着いたおとなのつき合いができるでしょう。相手に対する思いやりをいつも忘れずに、お互いに人間性を高め合えるような年にして欲しいと思います。
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