えんじゅ:141号

若いレンズを通して

          高校副校長 阿曽 
 二つの千年紀を渡って迎えた新年、おめでとうございます。

 こうした意識は千年前の古代では不明確で、むしろ千年王国 −絶望的な現世に救世主が再臨して悠久の楽土をつくる−とい うユートピア願望が千年という単位で語られる形はあった。と すれば、今回の経験は地球規模で共通の認識がもてるようにな った事例の一つといえる。

 わが国での1000年前は、藤原道長が四男坊というハンデにもか かわらず、内覧という地位を得、娘彰子の入内で外戚となる途が 開けた頃である。紫式部も彰子付の女房として登場した。「源氏 物語」はこの10年以内の作とされるが、道長の「望月の歌」は 17年後のことである。

 「知恵はむしろ弱い者が持っているものです」と司馬遼太郎は 言う。ハンデを自覚する者の意欲がむしろ克服の力となる。

 これで思い出されるのはシドニー五輪での高橋尚子さんであ る。彼女は帰国後、表彰やお祝いの連続で休みもなく過しなが ら、各地で感想をのべている。その話によると、私はがんらい 身体が弱かった。走るのも遅くよい成績がとれなかった。しか し走るのが好き、いつも走っていた、という。そこにこれも走 りが大好きの小出監督が加わる。「量は質に転化する」。膨大な量 の走りが一挙栄光に転じた。

 昨年は世紀末ということもあって、閉塞の時代とか不透明な 時代、海図なき時代などと悲観的な定義づけが流行っていた。 それは甘えや怠惰を転嫁するのに好都合な文句だからである。

 明日のことが分らないのは古今を通じて同じ。高橋さんはス タート台に立てたことだけでわくわくして嬉しかったという。

 諸君の若いレンズを通して見渡すなら、今年も可能性の別世 界が鮮やかに見えるはずである。


年頭に寄せて
高校第1学年主任 池口 

 「ニュー・ミレニアム」だの「Y2K問題」だのと 喧しい空騒ぎのうちに始まった感のある昨 年でしたが、新世紀開幕の今年2001年は一転して呆気ない ほどの静けさの中での年明けとなりました。新年だ、新世紀だ といっても所詮は昨日の延長にすぎぬという醒めた思いの人も、 まずは「一年の計は元旦にあり」の古諺に倣い、今年1年の自分 の歩むべき道筋をしっかり確認しておきましょう。

 諸君は4月から大幅な選択科目によるコース別の学習に入り ます。科目の選択は将来の人生の相貌に繋がっています。何か を選び取るということは同時にほかの可能性を捨てることで、 人生とはそんな選択の連続でもあります。多くの可能性を捨て てもなお悔いのない、そんな選択をして生きたいものですね。


必要なこと
高校第2学年主任 添田 

 新年おめでとうございます。高校2年生は「今年は勉強する ぞ」という気持ちでいることでしょう。その気概は大いに結構 ですが、一方で、勉強には科学的と言うか、理にかなった手法 が必要です。例えば基礎から応用へというつながりを生かすこ とは定石で、これを無視することは危険です。それ以上に必要 なものはなんと言っても絶続する力です。勉強してもすぐに効 果は表れません。それでもあきらめずに続ける力、それを持て るかどうかが大変重要なわけです。また、これは規則正しい生 活の中で育まれるもので、要は日々の暮し方が全てを決めてし まうのです。後は、あえて加えるならば、自分の成長を信じる 楽天性でしょうか。この1年間が本当の意味で自分を鍛え、伸 ばす年となることを願います。


「ギリギリのところで」
高校第3学年主任 藤井 

 高3生にとっては、これまでとは違った気持ちで新年を迎え たことでしょう。入試本番も間近で、かなりの緊張感の中で生 活しているはずです。まさにギリギリのところでしょう。この 「ギリギリのところ」というのは、「つらい」時である反面、伸びて いる時でもあります。

 野球の守備練習では、その選手が捕れるか捕れないかという ところにボールを打ち、練習します。簡単に捕れるボールやま ったく捕るのに不可能なボールでは練習になりません。そして そのギリギリでの練習は、成果として確実に現れます。

 君たちは今、ギリギリのところにいます。自分が伸びている かどうか、なかなか実感できないかも知れませんが、諦めず最 後までボールを追って下さい。伸び続けている自分を信じて。


えんじゅ表紙へ

学校表紙(もくじ)へ


平成13年(2001) 1月23日改訂