えんじゅ:158号

ノーベル賞受賞者との対話

 11月15日、本学園協力の 「科学フォーラム東京」が早稲田 大学大隈講堂にて開催された。

 スタンリー・ブルシナー先生、 江崎玲於奈先生、利根川進先生 に、本校より参加の192名の 中高生は大きな刺激を受けた。



生み出される想像力    3−4  藤本

 突然、聞きなれない単語がいくつも耳に入ってきた。「プリ オン」「スクレーピー型」「タンパク質粒子」などなど。みなさ んはぱっと頭に浮かんでくるだろうか。私には1つ1つが謎だ った。けれど、頑張って説明を聞いていくうちに謎は次から次 へと解けていった。それのおもしろさと楽しさといったら一言 では表せない。

 「世界の違う人」と考えていた人々も結局本質的に私達と変 わらず、謎を謎のままにしたくないという思いが、謎が1つ1 つ解けてゆくことに対して喜びを感じる心が強いだけなのでは ないかと思えた。

 「偉大な発見をしたい」と思う心ではなく「謎を解きたい」 と思う心から、偉大な発見は生まれるのだと思う。そして、そ れを生みだすのはその人の好奇心、想像力、独創性らしい。そ れならば誰もがチャンスを持っているのだろう。そして、その チャンスを活かすも殺すもその人次第なのだろう。

 想像力――。どこから生まれ、どう成長していくのか。こんな こと考えたことがあるだろうか。実は想像力とは生み出されるも のだと知っていただろうか。私には「生み出される」という言 葉が意外でしょうがなかった。

 想像力は学ぶことから巡り巡 って生まれるものらしい。「学ぶだけでは分別カは生まれても 想像力は生み出されない。が、その分別力がもとになり自主・ 自律性から想像力が生み出される。」という言葉について深く 考えると、とても大きな意味を持っていると思う。学校に行く 意味、考え自分ですることの意味を短く、けれどとても力強く 表しているのではないか。1人では学べないだろう。必ず誰か の助けがいる。先生、友達……。成長するためには、先生を 頼り、助けてもらっていいのだと思う。ただし任せっきりでは なく自分でやることも大切なのだ。

 想像力を大きくすばらしいものにするチャンスは誰ももって いるのだから、それを逃がす手はないだろう。このチャンスは 自分の大きな成長にも、偉大な発見にも繋がる第一歩。自分に あたえられた能力・才能を、チャンスを、大切にしてはどうか と思えた。


江崎先生に質問する2年D組田中君


フォーラムに出席して考えたこと    3−D  富田

 科学フォーラムに出席して強く印象に残ったことは2つある。

 1つ目はプルシナー先生の紹介した元イギリス首相チャーチ ルの格言だ。"Man will sometimes stumble upon the truth, but usually will hurry on" というくだりだった気がするが、メモしていないので残念ながら 正確には記憶していない。私はこの言葉を聞いた時、大きな衝 撃を感じた。人はある方向へ無我夢中に突き進んでいると大極 が目に入らなくなるのに違いない。そしてその結果失うものの 大きさと言えば!例えば、もしペニシリンの発見者、フレミン グが培養に失敗したペトリ皿をそのまま処分していて、青カビ のまわりに細菌群がないことに気がつかなかったら抗生物質の 発見は大幅に遅れただろう。プルシナー先生の場合も、もし従 来の病原菌説に固執して、タンパク質がヤコブ病の原因である 可能性を最初から否定していればプリオンの発見はなかっただ ろう。

 今受験期にいる私は「真先に突き進む」型の生活を送ってい る。早く大学生になって、一歩引いて周りを概観できるように なりたい。

 2つ目は、パネルディスカッションの最後に江崎・利根川両 先生が展開した議論だ。「コンピューターは人間の頭脳を越え ることできるか否か」の議論である。両先生とも自分の研究分 野の優位(と表現したら少し稚拙だが)を確信していたところ がとても面白かった。でもこの議論は私に2つのことを考えさ せた。1つ、人間の脳の解明はどこまで進むのか。今利根川先 生はネズミを使って海馬とドーパミン受容体の研究を進めてい る。これで記憶の構造を明らかにするつもりだそうだか、人間 の場合、遺伝的な因子以外に、今まで育ってきた環境や個人の 経験などの後天的な因子が複雑に絡んで、外界から取り込んだ 情報を処理している気がする。(あまり詳しいことは分からない ので言い切れないが)記憶の機構はどこまで進むのか、今後の 研究結果を楽しみにしている。2つ目は「コンピューターは 自らハードウェアを更新することができない」という指摘を利 根川先生がしていたが、仮に更新することができたとしても、 それはあるプログラムに沿った一律的なものになると思われ る。しかし人間、生物のすごいことは、偶然の突然変異にある と教わってきた。人間がいまここにいることはセレンディピテ ィの結果である。これは機械になせることなのだろうか。


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平成15年(2003) 1月 7日改訂