えんじゅ:168号

中学・高校
各学年年頭言

季来れば季を忘れず花を持つ木草の妙 そして驚き    副校長 和田

元旦、庭に出る。そして東の空を見る。虚子の詠んだ“大涛にをどり現われ初日の出”ではないが、遠い屋並みの上に出てきた朝日を拝む。庭木の中に一本の紅梅の若木がある。その梢のふくらんだ紅い蕾を見るとホットする。そして、大岡 博の句 “いのちあらる木草のあわれ 季来れば 追はるるごとく つぎて花をもつ”を思い出し、人にもまして己が生命の咲く季を知る木草の神秘とも言える営みの確かさに畏怖の念を抱く。

その後 食卓を家族で囲み、屠蘇を廻し飲みして、「おめでとうございます。」と新年の挨拶をし、雑煮を頂き、家族揃って初詣に出かける。 以上がこの日の朝の我が家の風景ですが、ここで皆さんにも、「あけましておめでとうございます」と新年の挨拶をさせて頂きます。 それにしても自然はすごいと思いませんか。季来れば、それに適した営みを、忘れずに行っています。忘れると生命がしぼんでしまうからでしょうか。 それにくらべて、私たち人間はどうでしょうか。その時が来ても、その時しなければならないことも、忘れがちです。だから、なのでしょうか人は四季折々に行事を定め、なさねばならぬ行為へと人を引き戻している、と。 除夜の鐘を聞き、初詣で手を合わせながら、毎年そんな思いを繰り返している私です。

そして、私にとって改革することは何なのか、不易なものは何か、と求めます。この時、私の頭を過ぎるのは虚子の二つの句です。“去年今年貫く棒の如きもの”“春風は闘志抱き手丘に立つ”生徒のみなさん、君にとっての改革と不易とはどんなことでしょう。生命豊かな君が、この二つの句を我が物として、新年を生き抜くことを願っています。


今は土台を作るとき    附属中学校教頭 星合

諸君も、それぞれに新春を寿ぎ抱負を練り直し決意なるものを固め「今年は」元旦の計に思いを託したことと思う。

「時は金なり」の如く君達の年代の一年は人生において、最も価値が高い時、何事にも真正面から立ち向かう気概が、その価値をさらに高めてくれることだろう。常に直球で勝負して欲しい。

「若いときのツケは必ず年老いてからまわって来る」実に味のあるこの一言だが、光陰矢の如し、私自身この年齢になって、あの時に、この時にもう少し努力しておれば、こんな時、あんな時には、もっと良い結果が上げられたはずだと後悔することがよくある。

いくつになっても学ぶことは沢山あるが諸君のこの時代に学んだことが人生の土台になる。手抜きをせずに最善を尽くして欲しい。そしていつも謙虚であれ!!


希望を持って生きよい年に     高等学校教頭 大西

あけましておめでとうございます。

今年はどうなっていくのか、心配な内外の問題について、歴史と未来へのしっかりした視点を持てるよう、自分の学習を深め、知的能力を高め、知性を磨くことに専心したいものです。

この数年、全国の水田や小川からメダカやカエルがいなくなり、飛来する鳥もすっかり減ってきました。これに対して、再び、メダカやカエルが泳ぎ、鳥が舞ふ自然を造り出すための「稲作り不耕起栽培」の理論と実践が提起され、今、その運動が急速に拡大しはじめました。ここに環境改善への大きな第一歩を見ることができます。

困難に屈することなく、未来への希望を持って、毎日を生きて行けば、よい年となるにちがいありません。頑張りましょう。


新年に思ったこと    中学第一学年主任 添田

新年おめでとうございます。みなさんはきっと穏やかに新年を迎えたことと思います。しかし、世界に目を向けるとそうではない人はたくさんいます。生きて新年を迎えることさえわからない人々が。今、世界で最も危険な国イラクでは、戦争が終わったにもかかわらず、まだ街から銃声と爆音が止みません。しかも、十一月二十九日には日本の外交官が犠牲となりました。国際貢献のためとはいえ、自衛隊の派遣も予定されています。目に見える形での貢献も大切ですが、日本人が危険にさらされないような方法はないのでしょうか。今後、この流れは加速し、国際的な地位を上げる一方で、重い代償を私たちは支払うことになるでしょう。複雑でわかりにくい国際情勢に、私たちは無関心ではいけません。たとえ中学生であってもです。


変化のとき    中学第二学年主任 藤井

平成十六年。この四月にはいよいよ変化の「Bブロック」を迎える。 それは、中三でありながら高校を意識することから始まる。生活の場が高校棟へ移り、学習内容も科目によっては完全に高校のものへと移行する。また、高二までを見据えた芸術科目の選択や第二外国語講座も始まる。否応なしに高校という空気の中に押し出される。

このような変化を前に、君たちはこの三ヶ月をどのように過ごすのだろうか。未知の変化では起きて慌てるしかないが、幸い予想がつく。ならば準備もできるというもの。

同じ空気でも、爽快と感じるか、息苦しいと感じるかはその人しだいである。変化を前に、君たち自身にも変化が求められる。そして四月、共にこの変化を楽しみたい。


新しい世界に触れること    中学第三学年主任 八田

中3も残すところ後わずか。3月にはニュージーランド研修が始まり、4月からはいよいよ高校生です。

人はいつ伸びるかというと、その時期には個人差があって、ほんのちょっとしたきっかけで驚くほどの進歩をすることがあります。英語だけを使った学習体験、異文化の中での生活体験、親元から離れる経験、どれをとってもニュージーランド研修はひとつの成長へのきっかけとなるにちがいありません。大切なのは、自分の経験から何を学びかつ吸収し、それを自分自身の成長の糧としていくことができるかどうかなのです。

「旅は人生そのものである。人は旅をするごとに、大きく成長する。」と言われます。どうか実りの多い研修として、高校生活への飛躍の原動力としてほしいと願っています。


さらなる成長を    高校第一学年主任 菅野

昨年、あるパネルディスカッションに参加する機会を得た。二十一世紀の社会に求められる「理数力」がテーマであった。パネラーの方々は、共通して、考える力、表現する力の必要性を、昨今の学力低下問題にからめ、実例を通して話されていた。ところが中盤、テーマの大きさも手伝って、話題は方向を失い、失礼ながら「迷走」を始めたのである。

最先端を歩む方々が、豊富な経験を通じて考えておられるのに、話題が収束していかない事実。これは生徒の皆さんが歩んでいく未来が、多様な能力、個性を求めている事を表しているのではないだろうか。

生徒の個性に応じた能力を伸ばすのは「学校が」ではなく、「学校で」なのかも知れない。Cブロックの生活が始まる。成長の主導権は生徒自身にある。


タイミングと分量   高校第二学年主任 山崎

我が家にヤマボウシの株立ちがある。四メートル以上はあろうか、一昨年の六月頃には真っ白い花が木一面に咲き、それは見事なものであった。ところが去年は一花も咲かなかった。原因は何か、いろいろ考えてみた。気候条件かもしれない。しかし、今一つ思いあたることがある。それは、前と同じように花を見たいが為に、多目の肥料をやや遅れて与えてしまったことだ。特に窒素を遅れて与えると葉だけが茂って、花や実がつかないことがわかった。タイミングと分量をまちがえた為に、とんでもない結果になってしまったのだ。あれからずっと、木に謝りっぱなしである。

かりそめにも毎日教壇に立つ身。タイミングと分量については常に心がけていたいと思っている。


最後まで尽力 高校第三学年主任 高橋

新しい年が始まりましたが、高三生はかなり緊張感を持って年を迎えたことでしょう。入試を控え、誰でも大なり小なり不安や苛立ちはあると思います。しかし今一番大切なことは入試までの日々を心身ともにいかに安定した状態で送れるかということです。残り少ない時間ですが、落ち着いて着実に勉強を続ければ、まだまだ力はつけられます。力がついていることは、なかなか実感できないかも知れませんが、焦らずマイペースで毎日を過ごしてください。残り少ない時間だから、空回りをしないで大切に使ってほしいと思います。春になって美しく咲く花も厳しい冬を乗り越えたから美しく咲くことができるのです。自分を信じ、最後まで力を尽くして、春には美しい大輪の花を咲かせてください。

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平成16年(2004) 5月10日改訂