えんじゅ:168号


卒業生からのメッセージ

自分の頭で考え真実を見つめよう   鈴木

皆さんは「イラン」と聞くとどんなイメージを持ちますか?遊牧民、石油、悪の枢軸国、核査察問題などでしょうか。いずれにしても、皆さんが思い浮かべるのは「遠い砂漠の国」というイメージでしょう。しかし、イランには雪が降り、海があり、稲作が行われ、ほとんどの人が都市や農村で日本人とあまり変わらない生活をしています。イランが「詩の国」なんて想像できますか?つまり、日本で映像や写真で知るイランの姿はごく一部なのです。与えられた情報だけを鵜呑みにしていた私も、実際にイランに行くまでは真のイランの姿を知りませんでした。

同じようなことが、今皆さんが懸命に勉強している英語にも言えます。英語は確かに他の国の人々とコミュニケーションを取る上では不可欠の道具です。でも、決して万能な道具ではありません。英語を介して入る情報は、日本の中のイラン像と同様に、英語に翻訳した「誰かの意思」が入ります。英語を母国語にする国以外の情報は、全ての情報がすでに「ナマ」ではないのです。

イスラム教にもユダヤ教にもキリスト教にも深い因縁のない日本は皆さんが社会人になる頃には今以上に世界的に重要な役割を担っているでしょう。その時に必要になるのはいかに「真の姿」を知る手段を持つか、そしていかに「自分の頭」で考えられるかだと思います。

イランでは大統領や宗教指導者の演説も恋人へのラブレターでも最後は詩で結びますので、ここでもそれに従いましょう。

真実に努めよ そなたの吐く息から太陽が生まれるように(ハーフェズ)

(2期生/中央大学講師・イラン現代詩研究)


ちがう景色も見えるはず      塚本

なんとなく 今年はよいことあるごとし 元旦の朝 晴れて風なし

元旦の朝には、啄木のうたを思い出す。私はこのうたが好きだ。でも、なんとなく、というのが嫌な時期もあって、大学を卒業後は就職をせずにアジアを旅した。タイ、カンボジア、ヴェトナム、中国、パキスタン、インド、ネパール、そしてチベット。チベット正月“ロサール”は、初詣にお供え貸し、祝い酒、唄って踊って‥‥‥どこか懐かしい。日本のことを想った。

私の好きなある映画に「帰る場所があるから、旅をすることができる」という台詞があるだけれど、私もそうやって一年余りの旅を終え、日本に帰ってきて二年半以上が経った。農学部を出た私がなぜか、博物館で事務の仕事をしている。日本に帰ったら過疎の村で自給自足の暮らしをしようと思っていた私だけれど、日本の美について気づかされる今の仕事を楽しんでからでも遅くないと思う。満員電車に揺られ、東京の灰色の空を見ていると不意にインドの砂漠で真正面から上がってきた太陽や、ヒマラヤの朝焼け(チベット人は紅に染まる山々を蓮の花に例えるという。)大草原のヤクの群れなどを思い出す。どうしようもなく切なくなってしまうけれど、今こうしている時にも違う時間が流れている場所があると思う。そうして一歩踏み出そうと思う。自分の立ち位置を少しずらせば、異なる景色が見えてくる。今年もよい年にしたい。

(11期生/東京国立博物館勤務)


自身をもって力の限り      小島

「ブタもおだてりゃ木に登る」

  この言葉は私にぴったりだ。筑波大学への入学が決まったとき、「全日本大学女子駅伝、走れるといいね」と沢山の人に言われた。しかし、それが現実になるとは誰一人思っていなかっただろう。それ位、才能のない私にとってこの駅伝は遠い存在だった。

人の成長を決めるのは、本人の気持ちだ。才能は、スタートラインの差に過ぎない。ゴールは自分が決めるもので、いくらでも遠くすることができる。どんなに苦しくても、「自分はもっといける」という自身を持てば、驚くほどの力が湧いてくる。現時点での自分の努力に満足しているようでは、成長できない。

「自分は能力がないから、これが精一杯」と、限界を自分で作った瞬間、成長は止まってしまう。

斯く言うわたしも、駅伝当日は有力選手を相手に自信が持てず、勢いのない走りをしてしまった。しかし、あの日走ったことで、今後に対する確かな手応えと自信を得ることができた。自分には何が足りないのか、どうすればよいのかが見えた。私はまだまだ先に進まなくてはならない。またあのような舞台で素晴らしい選手と共に走り、今度はひるむことなく力の限りぶつかっていく為に。

(17期生/筑波大学医学部在学中)


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平成16年(2004) 5月10日改訂