えんじゅ:171号校長先生講話 |
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「自調自考」を考える(そのCLXIII)幕張高等学校・附属中学校校長田 村 哲 夫 |
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平成十六年、二〇〇四年、渋谷幕張中学・高等学校も二十一期生を迎えての希望にみちた新学 年がはじまっている。 二十一世紀も四年目、世界はこれからの展望がいよいよ不透明。 青少年にとって将来の目標を明確に自信を持って確立するには、いよいよ難しい時代に入っている。 今、成熟した先進国において大学は、多様化する教育ニーズに対応することに大変苦労している。 このことは、こうした時代の趨勢からおきている現象であり、我国でも 「大学改革」 は急務のこととして考えられ実現しつつあると云えよう。 昨年十二月に亡くなられたアメリカの高等教育界きっての「巨人」と云われたクラーク・カー(C−ark Kerr)博士の「大学の効果」によれば「大学は単一の目的の下に統合された学徒の共同体たるユニバーシティ」ではもはやなく、今や教育・研究・サービスの多機能を持ち、学生・納税者・政府・企業など多様な存在に奉仕する利害関係を異にした矛盾だらけの寄り合い所帯「マルチバーシティ」に変質したと述べている。そして「マルチバーシティ」には多様な利害の存在を前提とした「調停役」としての理事長・学長の強力なリーダーシップが非常に重要になるとも指摘している。 本年四月、日本では「国立大学」が無くなり、文科省職員は十二万人が一挙に二千人に減った。国立大学は、国立大学法人となり、教職員は公務員ではな くなった。明治以来続いてきた「大学」制度の大改革である。(アメリカでは第四代マディソン大統領の時、激論の末国立大学を持たないことを決め今日に続く)この大変革の年四月十二日に東京大学の入学式が行なわれ、佐々木毅学長は、「卓越性の追求」をせよと式辞でこう檄を飛ばしている。君達は自分には到底かなわないと思う人に出会うだろう。そして「卓越性の追求」の厳しさを肌で感じるに違いない。それが、大学における生活の醍醐味なのだ。 大学改革のなかでの大学としての危機感がこうした表現となって表れたのであろう。これから変化する不透明な社会、国家を担うにふさわしい「真のリーダー」たれ、一流の存存になろうとする不断の努力をという呼び掛けであった。学生時代は人生の最も自由な時、身をすり減らすまでの情熱をもって勉強してほしい。物事を究めようと努力してほしいという呼び掛けでもあった。そこで私としては、若者は範とすべきものを知り(多くの伝記を読み調べる)、乗り越える目標としての「卓越者」を意識してほしいと思う。人間という存在は不思議なもので最近の研究で(「時間の分子生物学」粂和彦著)、自律神経機能で分泌されるホルモン(コルチゾール)が意志の力でコントロールされていることがわかった。意志のカ・理性と云われるものが人が生きていくことを強く支配しているのである。生きる為の君の夢を天空の星につなげ(Hitch your wagon to a star )と云ったエマソン(米・哲学者)の言葉の重みを感じようではないか。
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平成16年(2004) 5月 14日改訂