二月。如月。「光の春」「春隣」「日脚伸ぶ」といった季語が使われる季節となる。
今年はトリノ(伊)で冬期オリンピックが開催されたが、開催日の二月十一日は、日本では古く「梅花節」と云われる日で、春を思わせる梅の開花を楽しんだ日であった。
梅が咲いているあたりに漂うほのかな明るさを「梅明かり」という。
トリノには、本校卒業生井上怜奈君(十期生)が、フィギュアスケート・ペアで、米国代表として出場する。パートナーは、ジョン・ボルドウィン選手。
井上選手は、九四年、リレハンメル(ノルウェー)冬季五輪に、代表選考会で五種類の三回転ジャンプを七回も成功させる会心の演技で強力なライバル二人を抜いて、日本代表として見事五輪切符をつかんだ。本校高2生であった。
トリノ冬季五輪は十七日間、丁度梅の開花期と重なる。今回、その「梅明かり」を想わせる井上先輩の軌跡を紹介したい。
父親雅彦さんの死去、自分自身の病苦や大怪我を乗り越え、日本国籍から米国国籍への取得、全米選手権での劇的な逆転優勝の結果、つかんだ米国代表としての五輪切符。
「どんなときも、私にはスケートがあった。人生のすべてを教えてくれたのがスケートでした」という代表決定後の彼女の感想にはずしりと重いものがある。
本校生として五輪選手となった94年でも、練習中に痛めた左ひざの関節も完治していないまま、精神力と練習の努力で克服して逆転勝利の栄冠であった。
日本代表決定後の感想は、「今まで一生懸命練習してきた。自分が出来ることを精一杯やればよいです。スケートが好きだし、大いにスケートを楽しんできます。」であった。
いかにも幕張生らしいのびのびとした大きなスケールでものが見える感想で、大変うれしかったことを覚えている。
当時渋谷幕張校の生徒会は「皆でオリンピックに行こう」募金と壮行会で、井上君の出発を全校あげて祝っている。
そして早大進学、長野五輪に向け渡米へと続いていく。
「心に決めた目標に向けての剛毅な意志」には感動する
そこには、新約聖書にある聖パウロのフィリピの信徒への手紙の一節を憶いおこさせるものがある。「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」
また「労働で死ぬものはない。が何もせず怠けていては、人は体も命も駄目にする。なぜなら、鳥が飛ぶために生まれたように、人間は労働するために生まれたからだ」(マルティン・ルター)という西欧近代そのものの精神を示す言葉も想いおこさせるものがある。
「現状維持は退歩なり。常に一歩でも前へ」
自調自考の渋谷幕張生は、このような先輩をもつことをどう考えているか。
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