えんじゅ:204号


「韓国視察」を終えて(下)
副校長 田村
            



(前号の続き)  現在の韓国の学校教育制度の 始まりが、日本統治時代にある ことから、6・3・3制などの基 本的な枠組みは日本と同じであ るが、その後の変革の中で日本 とは違う仕組みが出来上がって いる。同じスタートをしながら、 違う発展を遂げてきた韓国の教 育制度については、特に興味深 く、その中の印象に残ったいく つかをご紹介したい。

 一つは、大学校 (韓国では大 学を大学校、学部を大学と称し ている) までの段階(小学校・ 中学校・高等学校) に選抜試験 がなく、公私立の区別なく、学 費が無料で、教育庁が生徒の行 く学校を決める、言葉は悪いが 配給制のような仕組みになって いる。教育熱の高い韓国にお いて、このような仕組みが成り 立っていることに違和感を覚え たものの、2年程前から生徒を 配分する各教育庁の教育長が公 選制に切り替わったと聞いて、 なるほどと思った。

 実際には、行きたい学校を希 望申告し、希望者が多い場合に は内申や学力試験の結果による 順位付けで入学を許可している 状況との説明であったが、人気 校は20倍以上の倍率があり、そ の選抜の詳細については、踏み 込んで教えて頂けなかった。現 場教員との立ち話の中では、人 気校への入学を巡り、色々な問 題が生じているとのことであっ たので、さもありなんと思い つつ、具体的事例までは開けな かったのは残念である。

 また韓国民の教育に対する熱 の入れようは、改めて強いとい うことを実感した。小学校低学 年から当然のように塾に通って おり、マンション住まいが多い という日本との違いもあるもの の、各マンション群の中心に塾 が存在し、塾の先生がマンショ ンを回りながら送り迎えをして いるそうである。ホームビジッ トした家も、小学校1年生と3 年生の子どもが、夜8時半頃に 塾から一緒に帰ってきた。更に 訪問した高等学校においては、 夜11時まで自律的学習と称した 授業が展開されており、地元で は10時から11時に、学校の送り 迎えによる渋滞が問題となって いるとの話を聞いた。

 日本でこういう話になると暗 い雰囲気の学校と思われるかも しれないが、訪問した学校の生 徒は皆明るく元気で、学校生活 を本当に楽しく過ごしているよ うで、会う生徒皆が挨拶してく れる。勉強ばかりしていること で暗い雰囲気を醸し出すことな ど無いのである。

 高校生との話では、韓国では 難関といわれる大学が4つあ り、その大学に行けないのであ れば、海外に行くしかないとい う話をしていた。海外志向が強 く感じられるのも、特定大学に 行けないのであれば、海外に出 て行った方が良いと考える背景 が強くあるのかもしれない。

 また、韓国における英語熱は 聞いてはいたものの、凄いもの を感じた。視察した国営の外国 語教育院では、中学生には1ケ 月、小学生には2週間の合宿形 式の英語漬けプログラムを用意 しており、英語アレルギーの払 拭と英語力向上に大変な力を入 れている。プログラムとしては 全小学生を対象としていること から、総花的になっており、実 効性については疑問のあるとこ ろではあるが、その試みにはま さに熱を感じるところである。

 一方、予想外なこととして、 日本語をカリキュラムに取り入 れている学校が多いことには驚 いた。私見として嫌われている イメージがあったが、そういっ たイメージよりもむしろ興味・ 関心を持っている生徒が多い。

 最後に文化交流として、韓国 の世界遺産を見学することが出 来た。ソウルにある韓国宮廷の 一つである昌徳宮、慶州の仏国 寺や石窟庵などであるが、日本 と色調の違いはあるものの、仏 教文化として流れるものは一緒 で、改めて近いものを感じるこ とが出来た。

 今回の訪韓により、韓国にお ける情況の一端に触れるととも に、その共通性に感動を覚えた。 隣国として、知らないことが多 いことは誤解のもとにもなり得 ることもあり、相互理解を深め ていくことが重要であると改め て感じ、今後の積極的な交流に 繋げていければと考えている。



「オペラ鑑賞教室」
 高2 杉原
            



 拍手喝采という嵐の前の沈黙。 呆然と母の亡骸を見つめる少年と 舞台におりた光を見たとき、私は 涙が溢れて止まらなかった。
 開演直前まで私は、実は和と 洋のまざった歌劇という肩書き に、オペラを楽しみにしていた反 面不安を覚えていた。何度考えて もきらびやかな西洋の舞台に慎ま しい和はぴったりとはまることは なかったのである。しかし開演後 は、蝶々夫人の感情の起伏を端的 に表した音楽にのせられて、のめ りこむように劇の中の蝶々夫人を 見守った。脳に直接響くような歌 声と、朗らかな蝶々夫人のアリア。 「ある晴れた日に」は私も聞いた 覚えがあり、蝶々夫人の明るい性 格が伝わると同時に、これから彼 女を襲う悲劇に目の奥がうずくの を既に感じていた。

 何と言っても忘れられないのは 蝶々夫人の自決のシーンである が、このオペラからはアメリカ人 として生き、日本人として散った 夫人の生き様や、西欧人から見た 日本に触れることができた。
 私はあの光の包む舞台を忘れな い。忘れられないだろう。

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平成19年(2007)11月16日改訂