えんじゅ:225号


中三奈良修学旅行
10/7〜10/10
     


  四月から準備を重ね、奈良の 地で三泊四日の修学旅行を行っ た。今回の旅行は一年生の時か ら取り組んできた研修の集大成 として位置づけられている。  現地集合・現地解散・班別行 動という伝統を継承し、今まで にこなしてきた研修と同様に各 個人個人がテーマをもって見学 した。ただし、研修最後の仕上 げということで、いままでとはい くつか異なる点があった。  まず第一に班編制の仕方。そ れは個々のテーマ研究を重視し、 日替わりで班のメンバーが変わ るというものだ。目的地ごとに 班を組み、毎日班員がそっくり 入れ替わることも珍しくなかっ た。もちろん班として、行動計 画を立てたり、実施してゆくに は少し煩雑となるのだが、よく その困難さを乗り越えてくれた。  第二に研修としての意味であ る。奈良は他国の文化を取り入 れてきた日本の歴史を考えると き、シルクロードの終着駅として、 忘れてはならない原点である。 来年三月のNZ研修に向け、日 本人として自らの文化のルーツ に触れる良い機会でもあった。  さて、実際の現地での行動だ が、初日は雨に降られたものの ほぼ予定どおりの行程をこなす ことができた。  二日目は朝から台風の余波で、 午前中の計画から全て組み直す こととなった。しかし、皆、縮 小されたエリアと時間を目一杯 使った新しい行程表を作成する と元気いっぱいに宿から出発し ていった。そのたくましさに、三 年間の成長の跡がうかがわれた。  三・四日目は天候にも恵まれ、 東大寺や春日大社などの神社仏 閣、飛鳥の古墳群などを計画ど おりに訪れる生徒の顔は笑顔に 溢れており、時の流れを感じ、 歴史の中に身を置く旅を満喫し ているようだった。奈良というの は本当に不思議な土地だ。近代 的な町並みからほんの少し足を 伸ばせば、千三百年以上も昔の 空気を感じることができるのだ から。  夜のアクティビティも台風の 影響を受け、スケジュールの変 更はあったが、皆大いに楽しん だ。初の取り組みである雅楽教 室では伝統芸能に親しみ、百人 一首大会では白熱した戦いを繰 り広げ、夜の散策ではクラス集 合写真の撮影も兼ねて大興奮で あった。  今回、台風とインフルエンザ という二重の障害の中、何とか 無事に全日程を過ごせたのは、 生徒一人一人が自立した意識と責 任感を持っていてくれたからで あろう。まさにこの三年間の成 長を実感させてもらった四日間 であった。


高一広島研修
           10/8〜10/10      

 十月八日から二泊三日で、広 島での研修を行った。  平和(被爆) 都市として、世 界中に知れわたっている地とい うことや、世界遺産のある地と いうことで、今年度からは、今 までの長崎に代えて、広島で行 うこととなった。  研修初日には、台風が直撃す るということが非常に心配され たが、上手に台風をくぐり抜け、 広島での毎日は、好天にも恵ま れた。  平和記念資料館や原爆ドーム の見学をはじめとした平和学習 にとどまらず、「はだしのゲン」 の作者である中沢啓治氏による 講話、中国軍管区司令部跡で、 被爆直後に一番最初に広島全域 の打電をした岡ヨシエ氏本人に よる、当時と同じ場所での証言 など、本物を経験することので きた研修となった。  今回の研修は、事前学習の中 で、生徒たちが、被爆者の特別 養護老人ホームを訪問したり、 大学病院の附属施設を見学した りなどという、主体的な計画を 立てたことと、私たちの研修の 趣旨に賛同してくれた、現地の ボランティアガイドの方々の全 面的な協力とによって、成功さ せることができた。


高校第二学年
袋町小学校を訪れて  
 研修委員長 森      

 私の班は、三日目に袋町小学 校を訪れた。そこには、原爆に より離ればなれになってしまっ た家族を探すために書かれた伝 言が今も残っている。  それを見たとき、私はとても 衝撃を受けた。もちろん、六十 年以上も前のものが残っている こともだが、それ以上に、自分 の息子を探す母親の悲痛な叫び が、聞こえてきたように思えた からだ。  このような悲惨な状況を生ん だ原爆は、絶対にやってはいけ ないことだと、胸に刻み込んだ 三日間でした。

 

えんじゅ表紙へ

学校表紙(もくじ)へ

平成21年(2009)12月12日改訂