えんじゅ:288号  


校長先生講話

 

校長先生講話

「自調自考」を考える

そのCCLXXIX

幕張中学・高等学校校長

田 村 哲 夫



 

 三月、弥生。雨水末候、草木萠動。春の気配が増し、草木の息吹をそこここに感ずる時期。
 渋谷教育学園幕張高等学校第三十一期生の卒業を迎える。「槐」同窓生壱萬余人。意気軒昂。
 卒業式の「仰げば尊し」は、明治十七年の小学校教科書に登場したというから、もはや一世紀以上を経た古風な歌だが、教訓や感傷性を超えた何かがあって、いまだにこれを凌駕するものは出ていない。原曲はスコットランド民謡であるが、ナイーブな感性でこの歌を歌える年齢を考えると高校卒業の歌にふさわしい。

 菊の根を分ち終りて素読かな
 高浜 虚子

 さて、Diversity 多様性という言葉が、自調自考生達が生きる二十一世紀の特徴とされる。それ故に、先行きを見通すことが難しい時代になると考えられる。その二十一世紀を題名にした野心的な著書『21世紀の資本』(トマ・ピケティ)が昨年地球社会で話題となった。私はその顛末を二〇一五年三月一日発行の「えんじゅ」で取り上げたが、今回は自調自考生諸君に現在の時代認識を前提として考えてほしいテーマ(価値意識)について述べてみたい。
 ここ二十年に起きた大きな時代の変化として、グローバル化とデジタル情報化を挙げることが出来る。グローバル化については、地球規模での文化の均一化を危惧する声を良く耳にする。そして後者については情報帝国主義の膨張という批判がある。これ等の主張は地球上の全ての人々に貧困と絶望から解き放たれて生きる権利と人間としての尊厳が守られる為に必要不可欠なこととして強く述べられている。(『〈文化〉を捉え直す』渡辺靖・岩波新書)
 そして更にその上に必要なこととして「単なる物的支援に止まらずに文化環境の整備や人々の自信を取り戻す為の文化活動が重視されねばならない」と強調している。この考えはハーバード大ジョセフ・ナイ教授の主張している「ソフト・パワー」理論と重なる。
 グローバル化については、グローバルとローカルのどちらか一方が他方を単方向的に規定していくのではなく、循環的かつ混淆的な過程として見なすことにより、グローバリゼーションの負の側面を制御し、正の側面を活用するという基本的なスタンスを守っていくということである。
 私達は国際益と国益がいよいよ不可分となり、狭隘な国益理解に縛られた「対外発信」の強化はかえって国益を損なうのだと考えねばならない。今は新たな価値意識の模索が求められる処である。然し残念ながら情報化社会ではあらゆる過去、あらゆる可能性がデータベースのように明快な横ならびの数字や鳥瞰図となって一目瞭然に呈示されてしまう。私達はそれを整理づける作業だけで全てが解決するような錯覚に陥るが、じつはなにも解決していない。なぜなら肝心の「トータルとしての創造性」に満ちた解決法が示されているのではないからである。
 然し新たな価値意識の模索にヒントとなることはある。それは日本型技術革新イノベーションの基礎的インフラとして期待されているポスト「京」の設計思想に伺える。当初二〇一一年世界最速(一秒間に一京回=一兆の一万倍=の計算速度)を誇った計算機をその数十倍の速度(完成すれば世界一)にするポスト「京」計画。天気予報、心臓シミュレータ、医薬品開発(分子レベル再現)等々に高速計算で複雑すぎて実現不可能と思われていた人間の夢が実現する。その設計思想は㈰少ない消費電力㈪高い計算性能㈫使い勝手の良さ㈬優れた成果創出、の四点。つまり人間を中心に全ゆる考えをまとめるということである。これを私は新しいヒューマニズム運動と名付けたい。
 自調自考生、どう考える。