あけましておめでとう。今年の四月で渋谷幕張中高も三十五年目を迎える。新年を迎えると毎年思うことであるが、今年はどんなことが起きる年になるのか、最も注目されるのはアメリカの選択の結果だろう。新大統領が就任し、日本のみならず世界に大きな影響を与えることになる。 グローバル化が齎す恩恵と格差を、人類は将来に亘りどう処理していくのか、平和に皆が納得出来る解決策があるか、見通せる状況にはないものの、様々な角度から長期的な視点で慌てずに解決する道を見出していくしか方法はないと思われる。 未来を生きる自調自考の生徒諸君には、まだ多くの時間がある。慌てずじっくりと世界に目を向けて、自信を持って自分の道に進んで貰いたいと思う。今年も皆さんにとって良い年となりますように。 |
新年おめでとうございます。 一年の計は元旦にありといわれますが、皆さんはどのような計画を立てましたか。 さて、皆さんは、これまでの生活を振り返って、一つだけを選択する場面を経験していると思われるのですが、いかがですか。また、選択した後で後悔することは無かったですか。どうせ、成るようにしかならないから、とか、もう過ぎ去った事だから、という事の繰り返しだとしたら、それこそ悔いの残る一生になってしまうことでしょう。 人は誰でも、少なくとも、 ニ、三度の転機があり、その都度、決断する必要が生じます。そのとき、「やる」「一歩前に出る」決断が欲しいのです。「自信がないから」「やった事がないから」と後退しては新しい自分を築くことはできません。今年こそ、一歩前に踏み出して下さい。 |
今後、世界はどう変わっていくでしょうか。とてもこの先は不透明で、不安に感じることも少なくありません。こういう時代に私たちに求められることは何でしょうか。それは、まず、私たちひとりひとりが未来に希望を持つこと、そして自分の知識を深めること、さらに新しい経験にチャレンジする勇気をもつことではないでしょうか。人に頼るばかりで、自分で物事を決められないようでは納得のいく人生は送るのは難しいかもしれません。自分のことは自分で決める、自分を取り巻くものから独立するぐらいの気持ちをもつことが大切なのです。 また一方で、協力することも、今後は重要性を増します。私たちは世界中の人たちとつながっていて、彼らとは無関係ではいられません。独立する強さと協力する寛容さが、今、求められています。 |
新年おめでとう御座います。 前厄・本厄と言われる二年を何事もなく終え、後厄の一年を迎えました。厄年とは「災難や厄災が降りかかり易い」とされる年齢の事で、陰陽道を起源に、平安時代から存在していたと言われています。厄年の三年間は、人生の節目と考えられる大きな行事は避けるべきだと伝わっていますが、時間に追われる忙しい現代社会の日常では無理な相談でしょう。厄年は、特に災いに遭遇する可能性が高い年齢に対する、先人からの経験的なアドバイスだと思いますが、私は厄払いのお祓いを受けたことがありません。しかし、厄年に関わらず、健康や周囲の出来事には常に細心の注意を払ってきたつもりです。 皆さんも、「自調自考」の教育目標を胸に、溢れる情報や誘惑に踊らされる事のない冷静な判断力を身につけて下さい。 |
新年おめでとう御座います。 前厄・本厄と言われる二年を何事もなく終え、後厄の一年を迎えました。厄年とは「災難や厄災が降りかかり易い」とされる年齢の事で、陰陽道を起源に、平安時代から存在していたと言われています。厄年の三年間は、人生の節目と考えられる大きな行事は避けるべきだと伝わっていますが、時間に追われる忙しい現代社会の日常では無理な相談でしょう。厄年は、特に災いに遭遇する可能性が高い年齢に対する、先人からの経験的なアドバイスだと思いますが、私は厄払いのお祓いを受けたことがありません。しかし、厄年に関わらず、健康や周囲の出来事には常に細心の注意を払ってきたつもりです。 皆さんも、「自調自考」の教育目標を胸に、溢れる情報や誘惑に踊らされる事のない冷静な判断力を身につけて下さい。 |
新しい年が明けました。SGH指定五年間の三年目終了まであと数ヶ月です。昨年十月に中間評価が公表され、生徒諸君や保護者の皆様にご心配をおかけし申し訳ないと感じています。評価の視点については、文科省の関係者との懇談(昨年九月下旬)で明確になったので、現在視点の検証、再整理、一部転換を行っています。生徒諸君が取り組んでいる内容自体は、レベルの高いものですから、自信を持ってください。 問題への対処は、いつ、何が、誰によって、どのようにして起きたかの検証が大切です。事実のみを多角的に捉えないと、本質は見えにくいのです。そこで必要となるのが、視点の「転換」や「多角化」です。このような対処は、学習にも有効です。マイナスをプラスに変える一年にできるようお互い頑張りましょう。 |
槐祭に一期生が訪ねてくれました。姓が変わり母親然とした四人組でしたが、在学中は陸上部で、カモシカのように走り回っていたものです。 当時は、ノーチャイム制も現地集合もない、今から見るとはるかに自由度の低い学校でしたが、すでに「渋幕的自由」は存在し、他の高校へ進学した仲間からは、随分と羨ましがられたとのことです。同時に忘れられない言葉が「自調自考」。専業主婦や会社勤めと、社会との関わり方は違っても、今も拠り所となって自分を支えてくれていると口を揃えていました。帰り際に、校長室前の「自調自考」額と一緒に写真に収まっていました。満面の笑みでした。 さて、自由度の高い現在の渋幕生よ、「渋幕的自由」を謳歌していますか。君たちの前にも後ろにも、多くの渋幕生がいるのです。 |