えんじゅ:124号

人を裁くのもまた人なり

中三模擬裁判


今回で三回目となりました模擬裁判が、去る十二月十四日本校啓発室で、豊崎寿昌先生を はじめとする東京弁護士会の八名の先生方をお迎えして実施されました。 今年も知角(ともかく)地味男(被告人)=大木久史(3−1)の窃盗未遂成立をめぐって、 検察・弁護に分かれて、激論が交わされました。「異議あり」が、勝負の決め手と今年は なったようです。生徒達にとって、筋書きのないドラマは、予想外の展開となり、傍聴していた 生徒達(陪審員)も固唾を飲んで見守ることとなりました。

裁判の意味

須藤博文

裁判長という立場から実感した。本当に人が人のしたことへの処分などしてよいのか、と。 判決を下す者だって神ではない。絶対に正しい判決などないのでは、と思う。 今回の模擬裁判で、被告人は無罪になった。これは事件の際の状況や被告人証人への信頼性、 様々な方向からしつかりと考えた末に判事の五人ともが、「被告人は無罪である」と結諭を 出したのだ。弁護士の先生方によれば、裁判官は裁判までの時間の中で先入観が生じぬために 配慮し、当日まで事件の概要を知らないという。それを聞いて、裁判官というのは、大変な 職業だと思った。一言も聞き逃すことができず、面識もない人の運命を変えてしまう恐れさえ あるのだから。

この裁判で悔しく思ったこと。一つは、異議がでた際にあたふたしてしまったこと。 もう一つは、判決の文面が難しく何を言っているのか分からなかったことだ。 弁護士になるのが夢だ、などと思ってる白分だが今回のことで、勉強不足かつ臨機応変に 動けない現実をみせられた。だから、法津をもっと勉強してどんなことにも正確に対処できる ようになりたい。

少し大げさかもしれないが、この世の中に白黒がはっきりしてることは少ない。間にある灰色の ことをも考えるのが裁判だ。こんなふうに考えさせられることが、模擬裁判を通しての、とても 大事な経験になった。


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平成11年(1999)3月2日改訂。