えんじゅ:129号
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来場者数が六千とも七千ともいわれるようになって数年を経るが、どような期待をもってそれだけの方がこの催しを訪ねてこられるのか。 中学の各団体はどれも工夫されており、概ね見学者の目を喜ばせているようである。高校生ともなれば、学年の上がった分、質的な向上もと、さらに期待してしまうのだが、実際は少々趣を異にする。創意とか工夫という点で、進化なり深化がとげられていたかといえば、それはどうだろうか。中学から高校校舎に足を入れたとたん、そこは、延長線上の空間ではなく、まるで次元のことなる場所だったかもしれない 発散の願望が輻射熱となって各教室から漏れ出ている。日常の学習活動の具現化などどこ吹く風で、いかに非日常を演出するかに力が注がれ、紙吹雪舞い、枕が飛び、肉体までもが飛び交っていた。 飛んだものは沢山ある。ピロティで行われたいわいる「筋肉番付」モノ。番号札めがけてボールが飛ぶ。余所では、ギターを抱えた少年が飛び、華やかな衣装に身を包んだドリルガールが跳ぶ。日が暮れて、火の粉が飛び、若い男女の歓声が飛んだ。そうやって祭りは終わっていった。それでよかったのかもしれない。 文化部の発表内容については、年々評価が安定している。この部分ではテーマである「進化、深化」が実感できよう。ライトコートではちょっとした野外(?)コンサートホールで、晴天に恵まれた今年はコーラス隊も管弦楽団も遺憾なく力を発揮した。美術部・書道部の出展も量質ともに充実。ブラバン・演劇は講堂の華。もちろん自然科学系の部活の発表をわすれてはならない。開校17年、卒業生からの助力も理想的な形で反映されるようになってきており、よき伝統の素地がかたまりつつあるようだ。 知的水準の追求だけが文化祭ではない。単純に弾けるだけの若さがあっていいのだろう。配合の妙に期待したい。 渋幕的ブンカ−文化、そして分化−渾然一体のエネルギー。来年は何をみせてくれる?はたして、7千人の耳目に堪えうるか。
![]() ![]() 「文化祭を終えて」
文化祭実行委員長
私が委員長として文化祭に関わると決まった時、最初に、例年とは違う文化祭ににしたい、と思いました。ただ漠然とそう考えたわけではありません。過去4回の文化祭に参加してみて、ただ何となく文化祭を過ごしている渋幕生が多いのではないかという思いがあった為です。文化祭に関われば関わるほど、それは確信となってきました。文化祭は、校外に渋幕をアピール できる数少ない行事ですが、主役の渋幕生が無関心では意味がありません。 もちろん私一人では変えられません。生徒部の先生方をはじめ、多くの人と何度も話し合いをしました。テーマ、部門、規約。私の理想は、すべての渋幕生が文化祭、その意味では、今年の文化祭の良し悪しは私にはわかりません。でも、大切なのは 、変えようと努力し、行動する事です。実行委員をはじめ多くの生徒が、自分の持ち場に一生懸命携わる、そんな現場を数多く観てきました。私にとってはそれだけで、素晴らしい文化祭を通して感じました。そして今回、多くの人と話し合う機械がありました。皆さんにとってはシンカした文化祭でしたか? |
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