えんじゅ:130号校長先生講話 |
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「自調自考」を考える(そのCXXV)幕張高等学校・附属中学校校長田 村 哲 夫 |
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霜月、秋酣(タケナワ)。春のようにおだやかで暖かい小春日和 (=インディアン・サマー(英))があるかと思うと、急に寒さ がおそい、霜や雪が降りはじめる。冬は目前。 秋晴れの下、文化勲章伝達式や七五三の宮参りが行われ、酉の市、 火焚祭、ふいご祭りなどの祭りも開催させる。又第二次大戦前の 新嘗祭、現在の勤労感謝の日(11月23日)はこの時期1年の農事が 終了し、天地の神々に豊饒を感謝して、新穀をすすめ感謝するおもい から生まれた祝日である。 農耕民族である日本人にとって天候・気象は、暮らしに大きく影響 するものだった。自然の季節の移り変わりに敏感に反応し、自然に 感謝すると共に畏敬の念を持って接してきた私達日本民族の伝統的 な考え方は、こうした行事の中に脈々として生きている。 学校がこの時期、槐祭・研修・修学旅行と最も大きな行事を実施する のも、まさに1年間の自然の恵みが結実するこの季節に人間に生命力・ 活力を吹き込む神事(自然・神に感謝)を行ったことを準えているようだ。 1887年(明治20年)8月〜9月にかけて実施された東京高等師範・現在の 筑波大の学生によるものが我国で最初の修学旅行であった。「生徒をし て、銃を肩にし、剣を帯びこめ、酷暑をして、信(信州・長野)、甲 (甲州・山梨)、駿(駿河・静岡)、相(相模・神奈川)の山地を跋渉 せしめた…」と記録されている。 集団訓練と鉱物動植物の採集(理科)、地形地勢の観察(理科地理)、 名所旧跡の見学(歴史と地理)等を目的とする。 欧米にあっては、これと似たものとしては学生が卒業時に大旅行をして 学生生活の総仕上げをすることがよくある。桂冠詩人バイロン(英国) は、卒業時のギリシャ・ローマ旅行中、詩が世界に知られて、「一夜 明けたら有名人となった」という有名な逸話が残る。 人生は「出会い」と「別れ」である。人は旅することで人生を実感すると いう。「見聞」「経験」を広め、日常性からの解放を目指して旅は続けられる。 日本民俗学によれば、日本人の生活に、はれ(晴)と、け(褻)の対立が あるという。普段の生活をさすのが<け>という言葉で、あらたまった特別 の場合のことを<はれ>と云う。祭とか盆、正月などの外、冠婚葬祭のような 臨時行事の場合もそうだ。(晴着という言葉と共に褻着という言葉もあった。) そして<はれ>の時の精神状態は普段とは当然違ってくる。 日常生活の柵、規範の外にあっての普通とは異なるものを求められること になる。つまり自分が試される処がある。 学校の生活で考えれば、研修・修学旅行はまさに<はれ>の時で、その時こそ 今迄の「自調自考」の幕張生としての生活が試される時なのであろう。人から 云われるのではない、自らの”高い倫理感”を示す時でもあると考えているが。 幕張生諸君、どう考える。 |
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