えんじゅ:135号
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出発にあたって高校副校長阿 曾 |
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| 桜花の候につづいて風薫る候になる。梢の若葉の色や艶はむしろ花よりも美しい。やはりスタートには春がふさわしい。 入学・進級の諸君のあらたな出発への意気込みに期待したい。 諸君は上総掘り井戸を知っているだろうか。房総の上総地方で開発され普及したのでこの名があるが、自噴する井戸である。 耕地整理で用水路が整えられ、各農家でも水道が一般的になって忘れられようとしているが、私は最も単純で安全かつ賢明な掘り方だと感心している。この利点から全国各地に広まって、水だけでなく石油、温泉の採掘にも用いられた。近年東南アジアの諸国やアフリカにまで、心ある人びとの手で上総掘り井戸が水を噴くようになっている。きれいな水の供給は生活、保健衛生の基本であり文化である。 上総掘りは突き掘りで、竹があれば掘れる。ノミをつけた鉄パイプに竹ヒゴをつないで地面を突いて掘る。実施者は地上に立ってヒゴを上げ下げし、ヒゴを継ぎ足すことによって深く掘り進める。こうして500メートル以上に及んだ例があるという。水脈に当たっても更に深い水の層に進めば、より安定した水量を確保できることになる。 これが普通の開口掘りでは、掘り手が中へ入って掘り下げる。掘り上げる土の量も多いし危険も多い。また最初の水脈をこえて下へ掘り進むのは難しい。 しかし、この上総掘りの特長である水の自噴には条件がある。そこの地層の構造が傾いていること、である。傾斜構造であれば水層も傾いている。そこに穴をあければ上方の水の圧力で自ら噴出する。したがって、平らな地層にのんびりたまっている水はいくら穴があいても噴出はしない。水自身にエネルギーがあるかないかが決め手になる。エネルギーがなければパイプを通してポンプで吸い上げねばならず、渇水期に涸れやすい。 「自調自考」。本枚は諸君のエネルギーによってはじめて本校らしくなる。時はいま。出発する諸君に期待する所以である。 | ||
君は何処へ行こうとするか附属中副校長和 田 |
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| 本校の中学生となった君にお祝いの言葉として、次の二つを贈ります。 その1つ……自分探しの旅は 君の頭と足で 入学間もないオリエンテーションの折に『稚心を去る』ということ話しましたね。遊びに熱中し、安楽を追い、勉強をおろそかに、父母に寄りかかり甘える幼心を棄てる。そして、自分の頭で考え、自分の2本の足で歩いて欲しいと願っています。 高村光太郎の詩『道程』の中に、『僕の前に道はない、僕の後ろに道が出来る』とあるように、君の前に決まった道は無く、君の歩く後ろに君の足跡が、そして君の道が出来るのです。その繰り返しを自分探しの旅と言い、それを記録したものが自分史です。それはまた、本校の教育目標の1つ『自調自考』で生を貫くことになると思います。だからと言って、それは、一人ぼっちであることとは違います。方向が見定められなくて、足がすくんで一歩も踏み出せなくなったら、耳を澄まし、目を開き、心を開いてごらん。お父さん、お母さん、そして先生の救いの声、知恵の言葉が聞こえ、また歩き始める勇気が持てるでしょう。友の腕も、そこにあります。 その2つ……友と心を結んで。 『中学校生活』で、ホイットマンの『きみに』という詩を紹介していますね。 『見知らぬひとよ 君と顔が違うように、ものの考え方、行動のパターン、趣味も、君と違った見知らぬ人がこのキャンパスに溢れています。学習の場で、部活で、遊びの庭で、君は話しかけるのです。君に話しかける人がきっといるものです。心許し合える友が現れますきっと。自我や個性を、その中で君はつかみ取り、次の旅へと君は飛翔できるのです。 |
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