えんじゅ:152号

校長先生講話


「自調自考」を考える

(そのCXLW)


幕張高等学校・附属中学校校長

田 村 哲 夫

 3月、21世紀最初の1年 を終えた渋谷教育学園幕張高等 学校17期生が卒業した。

 この時期、我国では、「教養教 育」の必要性が特に主張されて いる。きっかけとなったのは、2 月21日に遠山 敦子文部科学大臣 に報告された答申 「新しい時代におけ る教養教育の在り 方について(中央 教育審議会)」であ る。

 豊かな社会を実 現したが、「価値観 が揺らぎ、個人も 社会も自信や将来 展望を持ちにくい」 日本の現状におい て、子ども達に思 索や読書の習慣を身につけさせ、 自分の人生全体を見渡し、考え させる重要性を強調している答申 である。

 その為、教養教育を「幼少年 期における教養教育」「青年期に おける教養教育」「成人の教養教 育」という形で、その在り方につ いての扱い方を示し「教養教育」 は、大学でだけでなく、人間が生 まれてから死ぬまで必要であると 述べている。そして社会に共通す る目標が失われている現代に、人 間がどういう生き方をしたらよい のか、その生き方について必要な 教養とはどんなものなのか、そし て結果として一人ひとりが自分の 人生に自信を持って、互いに尊 敬される品格のある社会を作り出 せることこそが「教養教育」の目 標でなければならないと主張して いるのである。

 14世紀アラブの歴史哲学者 イブン・ハルドゥーンは「人間は 社会的結合なしには過ごしえな い。……このような相互扶助に よってこそ、人間の生存に必要 な力、それも相互扶助に携わっ た人々よりも数倍も多くの人々 の需要を満たす力が得られるので ある。」(岩波文庫版)と指摘し、 人間の思索の方向を示している。

 教養の意味は、人間生活を豊 かにするため知・情・意の修養 を積むこと。人間性を開発陶冶 して精神文化を理解出来る能力 を身につけること。(Culture Bildung)とある。歴史上、最も 溌刺とした教養の理念を抱き体 現していたのは、おそらく、ゲー テ、シラー、フンボルトといった 新人文主義者達であった。自己 の内なる向上への意欲と外なる 諸々の制約や運命が激しく切り 結ぶ中で、実現さるべき自己と 世界についてのより高い理想がい つも生き生きとイメージされてい た人々であり、それが出来た時代 であった。

 現代、教養が問われるのは、 「人間の自己疎外」つまり「人間 が人間らしく在ること」の意味と 目的が失われ、人間存在そのも のの理想が昏迷に陥っているから である。

 プレヒトは「ガリレオの生涯」 のなかで、ガリレオに「科学は何 の為に在るのか」と言わせ、本来 手段であった科学が目的となって 来たことの警告をしている。(プ レヒトはこの作品を原爆投下の報 を聞き全面的に書き直している。)

 つまり、現代の教養の最も重 要な機能は、社会とのつながりを 意識しながら、理想の人間存在 にとって何が「目的」であり、何 が「手段」たるべきかを自覚的 に弁別することが出来、現実批 判と理想追求を人生のなかで生 かせる力ということになろうか。 自調自考の幕張生諸君どう考え るか。


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平成14年(2002) 4月 4日改訂