えんじゅ:156号

若葉のパンセ
− 数学科  堀口 −


本気と書いて「マジ」と読む

 高校時代,私はバスケットボール部に所属していた。 先日、母校の顧問の先生にお会いした。 いまだにベンチプレス80kgを持ち上げている 現在57歳の錦谷先生…。

 そのビンタは「錦谷ビンタ」と呼ばれ、各選手は皆、引退までにいくつ 頂戴したかを数えていた。ちなみに私は一度に6回頂戴 したことがあり、その後は数えていない。

 「いいか〜!うちは千葉県でいちばん練習するんだ〜!」 月火木金は3時間、水は4時間、土は5時間、日は朝9時から 夕方5時で終わればいい方。夏休みは50日間中43日は活動した。 もちろん朝から夕方まで。たまの休日はもう遊びたくてしょうがなくなる。

 当時、私が考えていたこと、「まずい、勉強しないと大学にいけないよう。」 ところが実際の生活は…。身体はボロボロ。疲れがたまって授業中 に起きていられない。(私に「起きろ」と言われた生徒諸君!ごめんね。でも先生は キミタチのためにだなあ…) 朝はきちんと食事するが、1限目の休み時間にはパカッ、ムシャムシャ・・・あっ、 弁当全部食べちゃった。1日5食。(でも太らない)練習前の部室では、仲間と「かったるいなあ、 もう帰ろっか!」いつも次に出る言葉は「今度みんなで一緒にやめようぜ。」

 しかし、朝体調が悪くても、午後になって治れば、授業が終わりみんなが下校する3時頃にひとり 登校する始末。いつも「やめたい、やめたい。」でも必ず練習に向かう。

 確かに、あと少しでインター杯に出場できるかもというところまで勝ち進んだ。 負けたときは、くやしくて心がボロボロだったが、同時に爽快感もあり、なんともいえない気持ちになった。 でも引退後、皆で「俺達なんであんなことをしていたんだろう。何を得たのだろう。体力? そんなもの引退して2週間でなくなってしまったよ。」「どうせ大学でプレーするほどうまく ないし、こんなことをやっていても大学には行けないし。」なんてぼやいていた。

 でも結局、私も皆も最後までやり続けた。あんなにやめたいと言っていたのに。

 自分でも本当はわかっていた。やめなかった理由。ただバスケットボールが本当に大好きだっただけ。

 当時はわからなかったが、今ならわかる。自分が今大切にしていることに素直に、そして本気で 取り組むことの素晴らしさ。それを続けたこと、やり通した経験から生まれる誇り。母校バスケットボール部 の一員であったこと、それは私にとって一生の支えになるだろう。錦谷先生そして部の仲間に本当に感謝 している。

 なんでもいい。この渋幕にいる間にやりたいこと・いまやっていることに本気になってみようよ。


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平成14年(2002)10月15日改訂