えんじゅ:160号
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![]() 付属中学校から五クラス、高等学校から入学した三クラス、合わせて八クラスの十八期生が、めでたく卒業となりました。 数々の思いでと名残惜しさとともに、彼らのこれからの活躍を祈りたいと思います。 | ||
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卒業生諸君、卒業おめでとう。 これまで毎年送る側であったのが、今年は送られる立場になって今日を迎えている。本校での稠密で充実した歳月を思い出に、晴々とした門出である。諸君のご多幸を祈ります。 この時に当って諸君の心に留めておいてもらいたい事がある。 それは感性を磨く機会をとらえる必要性である。知性と感性は車の両輪にたとえられるが、知性が測定可能、感性は不可能なのをはじめ対極的であるし、高校以後の道では、知性優先となるので、車輪は偏跛になりやすい。 しかし、直感的な感性の育成は、心がけ一つで可能となる。 それが感動のすすめである。 すでに江戸時代に本居宣長は「心に深くあわれと思うことあれば必ず長息する・・・」と言っている。つまり数学で思いもよらない解法を知ったり、美しい文章表現に出会った時、はっと息をのんで次に長く息を吐く。これに声を加えれば「なるほど!」「いいな!」となる。これが知性の領域を超えて心の深みで感じた形、感動なのである。 怪我の横綱貴乃花が優勝して、小泉首相が「感動した!」と叫んだのも長息の余韻である。宣長は独りで思索していての感動を言っているようであるが、私の提案は独りででも言葉に出すことなのである。折角の感受性を磨く機会を逃しては惜しい。 一流のスポーツ選手や芸術家は人間味豊かな人が多いが、テレビやレコード・画集では不十分で競技場や会場まで行く必要がある。それから柔軟性、諸君は案外「ありがとう!」が言い馴れないのではないだろうか。 感動に伴う言葉は、心を爽やかにし、身体は元気づき、知的活力も高められる。 話を大きくすれば、科学も哲学も芸術も宗教も、人の感動を媒体として連なるように思える。 では諸君、いつもお元気で。 | ||
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君たちと過ごしてきた三年間も今日で終わり、一人一人が新たな道へと旅立っていくのを見送る時が来ました。卒業おめでとうございます。 出会った時はまだ子供っぽい初々しさを残していた君たちが日々目覚ましく成長していく様子を、私たちはうれしい驚きをもって見守ってきました。見違えるように逞しい立派な青年となった君たちのことを誰よりも心に懸けてこられたご家族の皆様もさぞやおよろこびのことでしょう。重ねてお祝い申し上げます。 さて、若い君たちには将来何者にでもなりうる大きな可能性があります。これこそ若者が持つ最大の特権であろうと私は思います。その何者かの種はもともと君たち自身の中にあるもので、それを探り当て育てるのがいわゆる「自分探しの旅」の実相であると言えるでしょう。 ドイツの詩人ホフマンシュタールが言っています。「何が自分の中にあるか気づくためには世界がなければならない。」と。人は世界と交わり正解を鏡としなければ自分を知ることができない、自分の中にあるものにさえ気付くことができない、と言うのです。 続けて詩人は「そして活動と悩みが必要なのだ。」とも言います。ただぼんやりと世界に出て行けばいいというものではない。どんな境遇にあっても、その場所で自分を生かそうと努力することが必要だ。そうすれば世界と衝突し、悩み苦しむこともあろうが、そうして初めて人は自分が何者であるかを知るのだ−−−ということなのでしょう。 明日からさらに大きな世界で生きる君たちに、右の詩人の言葉を贈ります。「自分探しの旅」の途上で悩み苦しみに出会ったとき、この言葉が勇気と希望を与えてくれるものと信じます。 | ||
今年も卒業記念の植樹が行われました。樹種はマロニエと黐の木。場所はプール棟とテニスコートの脇です。 尚、この植樹は第三期校内緑化計画の一環にもなっています。
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化学部に所属する東君(三年G組)が第四十六回日本学生科学賞の中央審査で読売新聞社賞を受賞しました。本校の化学部はこれまでにもこの賞の受賞者を幾人も輩出していますが、東君もその伝統を立派に受け継ぎました。研究は「生命誕生の期限第二報−簡易なアミノ酸合成法の研究」と題されたもので、太古の海で生命のもととなるアミノ酸が自然に合成される様子をイメージし、できるだけ簡易な合成手法を考案し、実際に合成に成功したことが高く評価されました。 | ||
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平成15年(2003) 3月3日改訂