えんじゅ:175号
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中国
![]() ![]() 今年度の高校2年生の中国修学旅行は、北京2泊・西安2泊・上海1泊の5泊6日(1団10月3〜8日・2団10月4〜9日)で実施されました。 両団とも雨の成田からの旅立ちでしたが、現地では全日程を通して天候に恵まれました。 今回の旅行は、中国の建国記念日ー国慶節の週に日程が重なり、例年以上に人で溢れかえる中国を目のあたりにすることと なりました。 金の時代より現代まで(モンゴル帝国時代を除く)中国の首都として、政治の中心として発達した北京。 古代からの歴史的遺跡を多数残し、シルクロードの出発点としても知られる四千年の歴史を誇る古都、西安。 凄まじい速度で驚異的な経済発展と開発を続ける商業と未来の都市、上海。 北京・西安・上海と現在・過去・未来の中国を象徴する三つの都市を巡る旅でした。 1日目=北京への移動のみ。 2日目=故宮博物院を見学した後、コース別研修。 3日目=万里の長城に登って汗をかき、西安へ。 4日目=兵馬俑や華清池、大雁塔等を見た後、西安市内の班別自由散策。 5日目=上海へ移動し、豫園と南京路の見学。夕食後には外灘の黄浦公園より東方明珠を視野に入れ夜景も楽しむ。 6日目=帰国。一路成田へ。 強行軍と食事の心配も杞憂に終わり、また、2団は台風の影響も懸念されましたが、全員予定通り無事帰国できました。 中国といえば、津波のような自転車の通勤ラッシュを思い浮かべますが、現在ではすっかり影を潜め、 東京のようなマイカー渋滞がとってかわっていました。 2008年の北京オリンピックを控え、急速に発展し続ける中国。 悠久の歴史と未来へのエネルギーを併せ持つ中国の文化に触れ、 全世界の2割近い13億人という人口を抱える国の底力を実感した旅でした。
![]() ![]() 高校生活最後の旅行である中国修学旅行が、無事終了した。 中国に行ったのは初めてだが、一番印象に残ったのは、満ちあふれていた熱気だった。 例えば、街を行く数え切れない人々の波、道ばたで商売する人などはもちろんだが、 際立っていたのは、観光地や史跡でも、食い入るように熱心に見学する人が多かったことだ。 これは見習うべき点だと感じた。 ところで、個人的に感動したのは、兵馬俑坑である。 これについては言うまでもないが、数多くの人形が整然と並ぶ光景を実際に目にした時の感動は、 言葉で言い表せないものがある。 先人の偉大さを身に染みて実感するとともに、歴史の重みを感じた。 このように、一人ひとり感じたことは様々だろうが、みんな で五泊六日過ごしたことは、よい思い出となるに違いない。 飛行機でわずか二時間半という近い距離にある国ではあるが、 我が国とはまるで異なる文化を持つ、中国文化の奥深さを感じた。 急速な経済発展も進んでおり、これからも中国から目が離せない。 今回の研修で学んだことを大切にしながら、残りの高校生活をしっかりと送っていきたい。 また、いつか中国を再び訪れてみたいと思う。
![]() ![]() 日本と昔から関係を持ち続けてきた中国。 そこは最初の海外修学旅行であり、この学年で行く最後の修学旅行の目的地でした。 去年、高三の先輩方がSARSの影響で中国へは行かれていなかったので、 今回は受け身では情報を集められませんでした。 そのため、ガイドブックを各自が購入したり、下見に行ってくださった先生方の情報を見に行ったりしました。 ここで、今までの研修をいかして、十分な情報を持ち、旅行に行くことができました。 しかし、それらの情報は実物を目にして打ち砕かれました。 昔につくられた建築物の大きさや正確さからは、 機械など何もなかった当時の人々の苦労や知恵を感じずにはいられませんでした。 そして、それらの裏にある当時の中国や皇帝の権力にはただ圧倒されていました。 この偉大さはぜひ後輩にも体験してほしいと思いました。 また、現地では、日本と中国の貨幣価値や、食事やお手洗いの使い方などの習慣等の違いにとまどい、 悩まされる場面もありました。 それらも今ではいい体験となり、異文化に触れる貴重な経験となりました。 私は今回の修学旅行を自分の中に残し、家族や友人に伝えたいと多くの写真を撮りました。 でも、実際の中国はそれでは語りきれないほど多くのものを与えてくれました。 だから、静止画の一点で全てをおわらせるのではなく、そこで感じたこと、 学んだことや友人との思い出を胸に刻んでいきたいです。 最後に、今回の修学旅行でも、JTBの方々や先生方に支えられ、現地トラブルや台風などがあっても、 全員が中国を楽しみ、無事に帰ってくることができました。本当にありがとうございました。 九州 ![]() 旅の始まりには沖永良部の南150キロにいた台風22号は、明日帰るという前日の夕方には サッカーチームのリーダーK・I君がマジ顔で「あした羽田に着けますか」と言うほど近づいていた。 最終日の九日は長崎から福岡の行程を全てカットし、ANAの午後の臨時便に間に合うようバスは疾走しつづけた。 だが、太宰府天満宮が削られる、と知った車内は大ブーイング、生徒の念願成就のお札のためだった。 「歴史、平和学習、癒し」がテーマの研修は、それまで完壁に満たされてきた。 時代の夜明けの島津藩・磯庭園、異文化交流の長崎くんち、浦上天主堂と知覧の終戦間際の惨劇、 天草四郎切支丹館、雲仙普賢岳・水無し本陣など。 心を揺さぶられながら学習してきた。 九州を選んだのは、少人数で小回りがきくのも理由だった。 二日半の班別学習に、桜島、漱石旧居、長崎ちゃんぼん、温泉、朝市などが組み込まれていたのだった。 十一時半までに空港に入れれば太宰府にも寄れる、お札だけなら。バスガイドの声に車内にはウェーブが。 名古屋上空で22号を追い越し、羽田空港に午後二時十五分に着くことができた。
![]() 「生徒が計画し行動する旅行」……私達は九州を選んだがゆえに、今までの経験を生かす高校生活最後にして 絶好の機会を得たといえるだろう。九州研修は中国研修と同様に移動こそバスではあったが、 全く異なるのは総計二日半の班別行動時間が与えられていたことである。 十月五日、私達は旅行前に作成した計画を手に鹿児島市内に乗り込んだ。 ザビエル教会で色ガラスで作られた窓から射す光に赤く染まった聖堂を拝し、さつまいも館ではイモプリンを食す。 海沿いに広がる仙厳園の美しい庭園を歩き、特産物を昼食に頂く。そして安価であるが豪華なフェリーに乗り桜島へ至り、 観光バスで島内一周を果たす。 文でも写真でもない生まの風景に触れ、私達は自然の大きさを実感した。 六日には九州新幹線の座り心地に感嘆を漏らし、七日、八日はグラバー園から望む長崎市内の異国情緒溢れる風景と 手にずっしりと沈むカステラの重さに旅の醍醐味をひしと体感した。 自らの手で作りあげた最後の研修。 それはぜったいに中国のものに劣らず、また、私の一生の思い出になるだろうと、私はそう思う。 |
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平成16年(2004)12月1日改訂