えんじゅ:175号
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十月六日、慣れない東京駅の待ち合わせに苦労しながら、 三々五々、参集した中学三年生(十七期生)は、奈良研修旅行に出立しました。 教員にとっては恒例の行事でも、生徒は幾星霜を耐えしのいだ歴史的遺物と初めての対面となります。 近年、修学旅行は京都と奈良がセットであるのが普通であり、本校のように奈良に焦点を絞った学校は珍しいようです。 しかし本研修のねらいは、シルクロードの終着駅として土着的ながらどこかに世界性の片鱗が窺える奥深い古都の文化に 触れることで、国際人としての感性を触発し、またそれを練磨するという点にあります。 雨に崇られながらも班別自由行動で古都を散策した三年生は、蒼然とした風格のある建造物を堪能し、 くすんだ仏像の拮華の微笑に感じ入るところもあったようです。最終日は台風で予定変更となりましたが、 九日、無事に帰京しそれぞれの感慨を抱いて家路に着いていきました。
日本の歴史を訪ねて 渡辺 二日目。ビデオカメラを片手にホテルを出た。 最初は奈良国立博物館だ。開館まで三十分もあり、仕方なく鹿を追う。 運良く館職員の方が現れ、早速話しを聞く。まずは奈良の良さから。 −やはり自然がいいね。それに、歴史的な建物には当時の 雰囲気が出ているし、ゆっくりじっくり見て回れるよ。 次に、小さいころから歴史好きだったのかと。 −そうでもないが、この仕事に就いて働くうちに、奈良が好きになったなあ。 館内を案内してもらい、お礼を言ってそこを出た。 東大寺。何度も聞いた名だが、実際の迫力が違った。南大門は木造で、 長い歴史が染み出るような空気が流れた。 門をくぐろうとして八mの金剛力士に見下ろされ、威圧された。 少し歩くと、大講堂が見えてくる。 遠くからも大きく、近づくと全体が見えない程だった。 中の彫刻の精密さには驚いた。歴史に浸ってをのんびり過ごした午前中。 午後は若草山を登ることに。標高約220mの小山で、奈良公園から登山道が出る。 観光客も多く、初めは登山という感じがないが、車止めの柵を越えた辺りから樹木が増え、 会話が減った。 道々「山頂まで」の距離に一喜一憂して登るうちに、 高い木の間から近くなった雲が見え始め、遂に「1OOm」の 看板が。最後の力で階段を駆け登った瞬問、そこには奈良一帯 の景色が広がった。 公園全体やホテル近くの猿沢池など、今日まわった全ての場所が一望でき た。疲れを忘れて叫びまわる中で地元の人たちと知り合い、 すっかり仲よくなってビデオ撮影まで協力してもらった。 夕食後のビデオには、方々に行き、人々と交流し、時を忘れて楽しむ僕たちが映っていた。 地元人たちの言葉通りの、ゆっくり流れる時間とともに。
法隆寺「中門」 脇 JR大和路線の法隆寺駅。厚く垂れ込めた雲から、しとしとと雨が降り続いている。 空気が重く感じられた。研修旅行出発の前に聞いた、法隆寺についての「意外な話」が頭をよぎった。 法隆寺は「鎮魂の寺だ」。そのことは父親が言い出した。 「えっ、何それ?」。 教えてくれたのは哲学者・梅原猛さんの著書「隠された十字架」。 梅原さんは「法隆寺は聖徳太子の怨念を抑えるためにつくられた寺」という説を唱え、 その証拠のひとつが、法隆寺の「中門」なのだという。 中門には、真ん中に柱がある。まるで「通せんぼ」をするかのように。 梅原さんによると、一族郎党を暗殺された聖徳太子の怨霊が法隆寺の西院伽藍から外に出られないよう封じ込める ため、中門の中央に柱を設けた というのだ。「え〜っ、ホントかなあ」。中門を見なくては、と思った。 雨の中の法隆寺は想像を超える存在感があった。晴れた日で は感じられない何か、を見たような気がした。壮大な伽藍の中 に入る。「中門」は内側から見ても確かに出口が二つ並んでい て、その左右と中央に計三本の門柱があった。私は「怨霊だっ て外に出たいのなら右でも左でもどっちでもいいんじゃない?」 と思った。一方で、昔の人の受け止め方が現代人とは大きく 違っていたとしても不思議ではない、とも思う。 なぞだ。中門をめぐる梅原さんの説が本当かどうかはわからない。 ただ、どのようなことでも独自の着眼と発想で考察すること の大切さを教えてもらったような気がする。 今回の奈良研修では、実際に法隆寺を訪れ、千四百年の歴史を自分自身の肌で感 じたことが大きな収穫だったと思う。
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平成16年(2004)12月1日改訂