えんじゅ:211号

校長先生講話


「自調自考」を考える

(そのCC)


幕張中学・高等学校校長

田 村 哲 夫


平成二十年、二〇〇八年渋谷幕 張中学高等学校の二十六期生を迎 えての「夢」一杯の新学年がはじ まっている。
 春休み中、中三のニュージラン ド研修、高校生達の英国、シンガ ポール研修等多様 なそして豊かな国 際交流の経験を胸 に生徒諸君の新学 年がはじまってい る。
 釈奠や 厳かに
      師の日ク
    伊藤松宇
 存在が未来その ものである青少年 にとって、未来の 見通しが立てにく い時代というのは、 特に青少年にとり、生きにくい 厄介な時代となる。 二十一世紀がそうだ。
 国境が意識されない、日常生活 の中に外国(の文化・宗教・価値 観)が存在するグローカリズムの 時代。多様性=Diversity=が支 配し、多様な価値観の混在の中で 正解が一つではない時代。そこで 皆で正解を見出す努力をどのよう にしていくのか。
 そこで今回は「道徳」について 考えてみたい。
 広辞苑(岩波) によれば、「あ る社会で、その成員の社会に対す る、或いは成員相互間の行為を 規制するものとして、一般に承 認されている規範の総体。法律の ような外面的強制力を伴うもの でなく、個人の内面的なもの。」 (Morality)を道徳という。
 「生きることに意味があるので なく、善く生きることに意味があ る」と述べた二千五百年前の哲学 者ソクラテスの「徳」についての 考えはここで大切な参考となる。 生涯何一つ自分の言行を書き残さ なかった彼の考えは弟子達の記述 によって知ることが出来る。弟子 プラトンのソクラテス的諸対話編 にあるメノン、ソクラテス、メノ ンの召使、アニエトスの四人の登 場人物による「メノンー徳につい て−」によって私達は多様な価値 観の混在する社会での−徳−につ いて考えるヒントを得ることが出 来る。
 冒頭「人間の徳性は教えること が出来るのか。それとも訓練に よって身につけられるものなの か。或は生まれつきの素質なのか 又はほかの何らかの仕方によるも のなのか。」というメノンの質問 からはじまる。
 これに対しソクラテスは、まず 「徳など知らない」と言い放つ。 そしてそのまゝ、滔々と話し続け る。
 しかし結局知らなければならな い徳目などを挙げることなく、「想 起」というキーワードだけを残し て、その場を去ってしまう。
 ソクラテスは、徳や知を「所与 の問題」として取り扱わないこ とで「道徳性の発達」という考え 方を示している。「道徳とは何か」 を理解する過程が発達であって、 所与としての徳を獲得する過程は 発達ではない。なぜならこうした 徳目は一個人の認識に留めずに、 絶え間ない対話を通じて、社会的 に共感され、認識されることで道 徳として完結されるものなのだか らである。
 ソクラテスによれば道徳とは、 単に獲得を目的とするものでな く、「問うもの」なのである。  特に価値観の揺らぐグローバリ ズムの時代にあってはこのことは まことに重要な考え方になってく る。
 自調自考生諸君、どう考える。

えんじゅ表紙へ

学校表紙(もくじ)へ

平成20年(2008)7月7日改訂