えんじゅ:238号

校長先生講話


「自調自考」を考える

(そのCCXXlX)


幕張中学・高等学校校長

田 村 哲 夫


 二月、如月。寒さ故、衣を更に重ねて着るところから、陰暦二月は「衣更着」と呼ばれる。
 そして立春正月。二月十日早稲田渋谷シンガポール校二十周年記念式典に参加の為訪星したが、当地は正月休み中でお祝い一色であった。
 三月、弥生。「植物がますます萌え出る」意味の《いやおい》が転じたものと言われている。雛祭り、春分。「植物期間」(日中平均五度以上)を迎え、 芽生えと共に「自調自考二十六期生」を世に送り出す。

 雲を洩る日の一筋や卒業す
                   大野林火

 明るい日差しが卒業生達の前途を寿ぐかのように輝く。

 高校を卒業し十八歳となれば、成人となる。そして十八歳迄の教育と、それ以降の教育の決定的な違いは、学ぶ者と教える者が対等 となるという処である。教員と学生が共に学び、学問探究を行うことを使命とする処で共通の立場に立つ。

 「人の教育とは、その人自身の知的努力の結果である。自分自身を教育しようとしないものの教育はできない」=新島襄が学んで有名な 教養大学アーマスト大の教授会宣言=は、まさにこのことを指摘している。ここで言う成人・大人とは校長講話で話しつづけて来た 「神に取って代わった近代的自我」を追求して身に付けようとする或いは付けた人を言う。その具体の内容は、アメリカの独立宣言や フランス革命の人権宣言に鮮明に示されているが、我々はその典型を、アメリカ独立の父祖達の一人ベンジャミン・フランクリンが提示した (『フランクリン自伝』岩波文庫参照)「きちんと自分を律して目標に向かう自我」という形で知ることが出来る。

 この精神は、米国独立当時のフィールドワークの結果残された古典「アメリカの民主主義」(アレクシス・トックヴィル著)で描かれた 典型的アメリカ人の心情=フェアを大切にする心=となり、米国の国民的神話となる「アメリカンドリーム」の基礎となる。

 米国独立後、間もなく生まれ活動したアメリカ文学の基本を示す言葉として「超絶主義」(トランセンデンタリズム)がある。 代表的作家として「RWエマソン」「ソロー」「ホイットマン」「ホーソン」等がいるが作品の中で示されている人間像の特徴は @自己信頼(Self-Reliance)A個人の無限性(Infinitude of the Private Man)である。そしてこの「近代的自我」は現代大きく 変容したように見える。人を取り囲む社会がいよいよ複雑化し、十九世紀から二十世紀にかけて活躍した精神分析の創始者フロイトの 「意志ではどうにもならない無意識の発見」もあって、次第にぼろぼろに崩れ去ろうとしているように思われる。

然し「人が生きることの共感」はこの自我の実現=自律的人格権が=なしにはありえない。認知科学に「三項関係」と呼ぶ問題がある。 互いが同じ世界を共有したと確信することで生まれる「共感」は人間特有のものだといわれている。「共感」が人を支える重要なものならば 「学ぶ」ことは「生きる」ことだと言える。

これからの世界で生きる若者は「学ぶこと」を通して、自我の実現を継続していく。 「近代的自我」の変容がこのように図られる。自調自考生どう考える。

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平成23年(2011)3月8日改訂