えんじゅ:146号校長先生講話 |
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「自調自考」を考える(そのC]]]])幕張高等学校・附属中学校校長田 村 哲 夫 |
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夏休みをいよいよ迎える生 徒諸君は、毎日の生活の過ごし 方の主導権を学校から取りもど すことになる。中学・高校も日 常は、平均的には睡眠7時間、 学校で6時間半、 学校外学習は2時 間半、テレビ2時 間、移動1時間で ある。 これが毎日10時 間以上の時間をど のように使うかが、 1人1人の考えで 決められる夏休み となる。 進路を目前に、 夏休みこそ天王山 と考え計画を練る 人、自分の学習上 の課題を決め、それにまとめて集 中した時間活用を考える人、体 力向上を計画する人等々、夏休 みの6週間こそ、1人1人が自 調自考の精神を発揮して、生活 計画、目標の実行達成が期待さ れる重要な時期である。そしてこ の結果が2学期からの学校生活 に大きな影響をもたらすものであ るので充分実りのある6週間と してほしい。 そこで、夏休み中の話題とし て、今日問題となっている「教 養教育」について考える。 「教養」とは「単なる学殖・多 識とは異なり、一定の文化理想 を体得し、それによって個人が身 につけた創造的な理解力や知識。 その内容は時代や民族の文化理 念の変遷に応じて異なる」(広辞 苑)と定義されるものである。し かし、一定の文化理念が何かと いうことが明示されていないかぎ り教養という言葉の持つ意味が 抽象的すぎて十分理解できない 定義になってしまっている。しか し何となく、教養は単なる知識 をいうのではなく、「人の生き方 を自分で考えること」の意味が あることは気付こう。 今から約2400年前活躍し た古代ギリシャ最大の観念論哲 学者のプラトンの著書には、教 養について次のような面白い記述 がある。まずプラトンは人は死ぬ 時にあの世に2つのものを持って いくと説いている。1つは自分が 培った「性格」、もう1つは「教 養」である(ファイドン)。そし て魂不滅論者であるプラトンは人 は死後、次の生き方を自分が生 きてきた経験を生かして選択する のだと考えていた。例えばアガメ ムノンは「王様として暮らした経 験から次の人生を鷲として生き る道を選んだ」(国家10章)と記 述している。つまりここで彼は現 世生きた経験とその反省を基に 次の人生を選択する力を「教養」 といっているのである。別の表現 をすれば、教養とは「生き方の 座標軸」であるともいえよう。そ してその際、教養といわれるもの に最も大きな影響を与えるもの が、家族や民族の慣習や文化と いわれるものであろう。デューイ はかつてこのことを「個人の独自 の発想からの行動といってもせい ぜい1家族内での赤ちゃん言葉 の流行程度の影響力しか持って いない。ほとんど特定の文化や慣 習下の発想である」と述べ、「文 化の型」の力を警告したが、私 達はこうした影響から逃れ 「これが人生さ」(セ・ラ・ヴィ) といった現状肯定、長い物にまかれ ろ的な生き方から、「より善く生きる 」ための「教養」を意識として身につ けねばなるまい。 自調自考の幕張生諸君、その ために多様な文化の型を学ぶ= 古典・小説を読む必要があると 考えるが。
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