えんじゅ:157号
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4月より準備を始めた奈良修学旅行、全73班の4日間に わたる計画が天候に恵まれた中で実施された。事前学習が現 地でさらに広がりをみせ、古都でのひとときが若い感性に多く の恵みをもたらした。
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奈良にいる時間は普段の多忙な日々を忘れさせてくれるかの ようであった。いつもの都会での余裕のない生活とは正反対の ような、のどかな街並みだった。数多くの大切な歴史を大事にし ている奈良の人々……温かい人達になるのも当然かもしれない。 そんな大切な歴史がつまった奈良で訪れたのは平城宮跡が最 初だった。 平城京−歴史を習った時の通り、そこは710年に遷都さ れ、当時は上の身分の人達も住んでいた、今で言う”皇居”の ような存在だ。そこで政治が行われていたというのはとても重 要なことだ。 平城宮跡資料館で1時間くらい当時の時代背景などについて 話を聞くことができた。話をしてくれたのはボランティアの人 なのだ。それだけみんなが奈良について他の人に知ってほしい という気持が強いのだろう。貴重な思いがつまった話を聞くこ とができ、1時間という長さをとても有意義に過ごせたのだっ た。 平常宮跡というのはだんだん復元されている所であり、まだ まだ途中なのだ。見渡してみると何もないと言ってもいいほど かもしれない。しかしそんな中で朱雀門という赤い門がとても 大きく目立っていた。この門もまだ最近復元されたものなので ある。私はこの朱雀門は遠くからしか見ることができなかった。 資料館から歩いて20〜30分はかかるそうだ。奈良に行く前 の自分は平城宮跡の大きさを甘く見ていたようで、朱雀門も見 られると思っていた。実際そんなに簡単なことではなかった。 とても大きく、当時の重要さを表しているかのようであった。 地面を掘ると何か出てきてしまうような、歴史がつまりすぎ ている奈良の土の上で、現地の人々はこれからも現代の時間を 生きてゆき新しい歴史をつくっていくことだろう。
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ぼくが法隆寺に来たのは、帰る時間もさしせまった最終日の 午前中であった。さして大きな寺ではないので、みつけるのに 少し手間どったが、それは、街角に、ひっそりと、しかし、し っかり存在感を示しながら、建っていた。 中に入ると、時間がはやかったせいか、人の姿はあまり見当 たらなかった。そして、寺の白い砂利が、日の光を反射し、な お一層白くなって、寺に明るい雰囲気をつくり出していた。 本堂をみてみると、著名な寺のそれと比べると、小さめで、 華やかさもなかったが、奈良らしい、落ち着いた雰囲気をかも し出していた。 いよいよ本堂に入ってみると、本物の十一面観音は、扉に閉ざ されて見えなかったが、ぼくには、そのことが、かえって、秘 密めいたものを感じさせた。その隣には、光明皇后をモデルに したとされる十一面観音の縮小版があった。伝説の中では、こ の像の右足の親指が反り上がっているのは、貧民を救いに行く 時の一歩目を踏み出したものと、言われている。あくまで伝 説にすぎない話だが、ぼくには、この伝説と、十一面観音のやさ しく、そして威厳のある顔によって、この像が、本物の仏のよ うにも見えた。 そして、本堂を出て、法隆寺からも出ると、ぼくには、なん ともいえない満足感が広がっていた。これは、たぶん、「奈良 を見た」という実感からくるものだろうと思った。1つ1つの 像に込められた想い、それが「奈良」をつくっているのでは ないかと思う。またいくか来ることがあれば、その時は、もっ とそういう「想い」をさぐってみようと、ぼくは、固く心に決 め、帰路についた。
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平成14年(2002)11月27日改訂