えんじゅ:144号

若葉のパンセ
理科 本村

 「お願いします」と帽子を取り、お尻を突き出す。条件反射でかばい、金属バットに骨を砕かれないように、手は頭の上で組む。まるで古タイヤでもたたいているかのような音が辺りにこだまする。「有り難うございました」と言い終わるやいなや、痛さをこらえるためにお尻を押さえながらグランドを駆け回る。ミミズ腫れは、2・3日間ひかず、お風呂に入るときと教室の堅い椅子に座るときが特につらかった。気の小さかった私は、1回のミスをすると萎縮してしまい、ミスがとまらなかった。連続5回ケツバットの庄戸中学校野球部の記録は、未だに破られていないと思う。

 そのような厳しい練習に、両親からは部活をやめるようにとさんざん言われたが、結局1日も休まず(休めず)、3年の引退試合前日を迎えた。

 練習前、3年間汗を流したグランドに、監督を中心に輪になって座り、張りつめた緊張感の中、背番号1番からレギュラーが発表された。

 「6番・・・○△・・・・」最後までレギュラーを争ったライバルの名前である。チームメイトは視線を合わせるのを避け、私も遠くを見つめるふりをしていた。自分だけその場に取り残されたような孤独感に襲われた。いつもとは違う感覚の中で、いつも通りの最後の練習が始まった。自然と涙があふれてきた。

 練習後、毎日家で欠かさず素振りをしていたこと、雨の日は部屋で素振りをし、タンスや蛍光灯の傘を壊したこと、両親が部活に反対しながら、軍手を縫い合わせたボールで練習を手伝ってくれたこと等々を思い出して『何のためにこれまでがんばってきたのか?』と思うと悔しくて涙が止まらなかった。練習中に見て見ぬふりをするチームメイトや監督の優しさが、痛いほど伝わってきて、涙を抑えることができなかった。

 野球部に入った動機は、新設校でサッカー部が無かったからであった。崇高な目標もなく、結果も決してかっこよいものではなかった。しかし、人生にとって大切な経験であったと思う。

 何かに追われるのではなく、何かに与えられるのを待つのでもなく、何かに追いかれる時間を積み重ねると、その分だけ人は高く伸びることができる。さらに、もし挫折を受け入れることができればその分だけ太く成長することができることを知った。そして、いつも多くの人に支えられていることを感じる心を持つことができた。


えんじゅ表紙へ

学校表紙(もくじ)へ


平成13年(2001) 7月19日改訂