えんじゅ:139号校長先生講話 |
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「自調自考」を考える(そのCXXXU)幕張高等学校・附属中学校校長田 村 哲 夫 |
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二学期。秋酣。 古来より、私達日本人は十月を神無月、十一月を霜月と呼んだ。農耕民族である我々は土着の思想とその祖霊観に裏づけされて、独特の神信仰を持っていた。即ち神は常に神社にいるわけではない。(尤も、神道考古学や神祇史研究では元来、季節的な農耕祭事の際、一定の聖域を祭場と定め祭祀を行っていたものが、次第に恒例化して祭事毎に仮設神殿が造られるようになり、やがて固定化して、恒久的な神殿になったものと考えられている。)その年の農作物の豊饒を保証し、秋の収穫を見とどけると何処かに帰るという捉え方である。そこで秋の収穫後に神は不在となる神無月となり、一方出雲地方だけは神在月と云い、この地に日本中の神々が寄り集うとされていた。そして農事終了後、五穀豊饒の食べ物が豊かに出回る実りの時に、又一方あらゆる生き物が活力を失う霜(降り)月に、人間の肉体に生命力を吹き込む神事が行なわれていた。=霜月祭りという。こうして私達日本人の先祖は自然との調和の中で、年ごとの人生の充実しておくる工夫をしていたのである。 学校の二学期のこの時期、いろいろな意味で、学校生活の総まとめとして、又新しい生命力を吹き込むためにも意味のある多くの行事が行なわれるのは、まことに興味深いものがある。槐祭文化の部、研修・修学旅行と本校での最も大きな行事が今年も、実り多く実施された。 然し、西暦二千年、二十世紀最後の今年の秋は、本校開校以来、おそらく最も大きなそして印象深い行事が予定されている。それは、二千年十一月二十五日に予定されている「ノーベル賞受賞者による教育フォーラム」である。従来、社会人・大学生対象であった「ノーベル賞フォーラム」が二千年を期して、中学生を対象とした「教育フォーラム」実施となり、その記念すべき、第一回が本校講堂で開催されることとなったのである。(主催読売新聞社・NHK) 参加されるノーベル賞受賞者は、大江健三郎氏(ノーベル文学賞九四年)とハロルド・クロート教授(ノーベル化学賞九六年)の両氏で、本校中学生全員とご父母の希望者が参加することとなっている。(高校生希望者) 大江氏の用意された文章に対する、中学生全員の感想文とそれを中心とした講評と話し合い(前半部分)、クロート教授の日英同時通訳付の講義とディベート(後半部分)によるフォーラムは白川教授の受賞した二十世紀の掉尾をかざるにふさわしい、夢多き行事となった。 「教養」を意味するドイツ語Bildungは、明治初期、西周により、「陶冶」と訳された。今日でも学術用語として使われる名訳である。 即ち人間の生まれたままの自然性が、陶土や金属にたとえられ、これを精錬し鍛えあげて真に「人間本性」の名にふさわしいものへと錬成されるの意味で、今回のフォーラムが「自調自考」にとっての素晴らしい陶冶の場となり、「教養」を身につける場となってほしい。
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