えんじゅ:166号

大和しうるはし
中3奈良修学旅行 10月7日〜10日


 各自の研究テーマを追求する 班別行動の4日間は、過去4回 の研修を礎に、大きな成果を上 げ終了した。

 秋晴れの大和路を散策する幕 張生は頼もしく、上品だった。


柳生の地    3年1組 橋本

 夕焼けは 柳生の里を 朱に 染める

 こんな句をインターネットで 見つけた。私が柳生の里へ行っ たのは、疲れもたまり始めた3 日目の事である。混んだバスに 揺られて1時間、正直何故こん なに人がいるのかと思った程 だった。


薬師寺東塔

 最初に行ったのは柳生屋敷 跡。外見は、一昔前の趣きのあ る民家で、木曽にあった「ある 屋敷」と似ていた。しかし、柳 生の里は民家がまばらにある 山々の中にあるので、どこか静 けさがあった。次に屋敷から出 て少し歩き、急な坂道を登る と、芳徳寺があった。私のレ ポートには関係が無いので、友 達と2人で近くの石のベンチに 座って休んだ。別の友達が帰っ て来て時計を見ると、まだ3時 間程余裕がある。実は、私達は この2ケ所しか回る予定が無 かったのだ。そこで急遽、近く にある一刀石へ行く事になった。

 山の中へ入り込んだ所に、一 刀石はあった。見た瞬間、衝撃 を受けた。私の予想を遙かに越 えた大きさだった。高さ、幅と もに5メートルはあるだろうか。 真ん中から2つにばっくりと割 れているその石は、その地に ずっしりとたたずんでいた。1 日目に法隆寺に行った時、時の 流れがゆったりと感じられたが、 それとは違う”時代の流れ”を感 じた。「これが、昔から今まで伝 えられてきたものなのか−−。」 と思いつつ、私達はその地を後 にした。

 帰り道のバスに乗って、私は それまでの事を思い出していた。 最初は全く興味が涌かなかった 所でも、今は多くの人がここを 訪れる気持ちが分かった気がす る。観光のためという理由だけ で訪れた人も、色々なものを感 じて帰ることだろう。むしろ、 そういう所が”観光地”となっ ているのかもしれない。

 うとうとしてきた頃、窓から 射し込む夕日が眩しくて、なかな か眠れなかったのを覚えている。


奈良で思ったこと    3年2組 鈴木

 今回奈良に行って、奈良は今 の状態だけを見て帰って来るの では勿体ないところだなと思っ た。私は奈良に行くまで、奈良 というところは古いものが残っ ていることだけに意味があり、 奈良へはただ単に古いものを見 るために行くと思っていた。こ ういうふうに意気込んで行った ものだから、実際奈良でお寺の 一部が再建されたり、発掘され たりして工事の看板が立てて あったときなどはひどく落胆し てしまった。新しいものと古い ものが同じお寺の中に混在して いるのが許せなかった。


猿沢の池

 千葉に帰ってきて、興奮がさ めないままにレポートを書いた ら、レポートにも書いたような 何故奈良では再建するのか、し なくてよいではないか、といっ た考えで頭がいっぱいになって しまった。

 だが、ようやくその興奮もお さまってくると、今度は次の新 たな考えが浮かんできた。よく 考えれば、今奈良に古いものが 残っているのも、昔から人々が 手を加え続けてきた結果ではな いのか。今は古いものの1つで しかない東大寺にしろ1回焼け て、もう一度建て直されている のだ。このとき再建されていな かったら東大寺は今頃なかった はずだ。そう考えると再建は本 当に悪いことなのかという疑問 が生じてくる。そこまで考えた とき、私は不意に自分が「古い ものがある奈良」ということだ けに固執しすぎていたことに気 付いた。

 過去の人々から受け継いでき たものを、今に生きる人々が未 来の人へ伝えるために手を加え ていく。それには何らおかしい ことはなく、ごく自然の行為だ。 文化の継承とはまさにこういう ことを言うのだろうと、私は 寺々の背後にある歴史をおもっ て感動した。

 奈良は寺を見て、その大きさ や美しさに浸るのも良い。しか し、それらの背後にある歴史な どにも想いをはせてみると、よ りいっそう楽しめる土地なので はないのだろうか。


興福寺


えんじゅ表紙へ

学校表紙(もくじ)へ


平成16年(2004) 1月 8日改訂