航空宇宙工学セミナーを開催しました

6月26日(月)、東京大学大学院工学系研究科の中須賀真一教授をお招きして、GLFCプログラムの一環として「大学発超小型衛星による新しい宇宙開発への挑戦」と題したセミナーを開催しました。この日を待ちに待っていた。約80名の中高生が参集しました。以下、中須賀先生の講演の概要を紹介します。

◆ 大学発超小型衛星による新しい宇宙開発への挑戦
日本における人工衛星の打ち上げに使われるロケットとして、H-ⅡやH-ⅡAロケットがあります。H-Ⅱは重量287t、1機85~120億円します。低コスト化を目指した最新型のH3ロケットは、残念ながら3月に打ち上げに失敗しました。イプシロンというロケットも開発されています。
近年、世界レベルでは、民間によるロケットビジネスや、ISS(国際宇宙ステーション)の展開、日本も参加している月の開発に関するアルテミス計画や、月を周回する宇宙ステーションである「Lunar Gateway」の開発などが進められています。JAXAによる「はやぶさⅠ」による惑星イトカワにおけるオペレーションでは、困難な状況からの帰還やカプセルの回収に成功しました。惑星リュウグウに着陸した「はやぶさⅡ」の地中の砂の回収に成功しました。これらは日本の技術レベルの高さが世界に示されました。

政府の行う宇宙開発が数百億単位に大型化する閉塞状況の中で、2000年頃から超小型衛星(50kg未満)の開発が、世界中で大学やベンチャー企業をプレイヤーとして、Fundなどによるベンチャーキャピタルを受けて、中大型衛星の代替を果たすようになりました。2003年6月に東京大学が打ち上げたCubeSat(1kg)という衛星は、開発に2年、300万円の低コストにも関わらず、まだしっかりと動いていて地上に衛星写真を送り続けています。日本の大学、高専による衛星開発の連携組織としてUNISEC(大学宇宙工学コンソーシアム)があります。こうした大学発の衛星がすでに60機以上開発されています。
衛星が宇宙で機能するためにはいろいろな条件をクリアする必要があります。例えば、真空環境や放射線、打ち上げの環境や長距離通信などです。そのためには宇宙で作動することを確実に検証することや、システムをより強くする技術が重要になります。これらをいかにして秋葉原で調達する安価な既成部品で作成するかが課題です。衛星は一度打ち上げると修理ができません。「Die Hard」なシステムが必須になります。
 日本には小型衛星の打ち上げの手段が2002年当時にはありませんでした。東京大学が超小型衛星を打ち上げる際には、世界中の民間のロケット会社に手紙を書きました。すると「Eurockot」(ロシアとドイツの合弁企業)という会社から連絡があり、ロシアの「Rockot」というロケットでの打ち上げが決まりました。東大と共に、東工大も参加し、約1㎏の衛星を飛行機の機内持ち込みでロシアまで運びました。ロシアでの打ち上げは今では考えられないことです。
 この衛星を作ったのは船瀬君、中村君、津田君、酒匂君をはじめとした学生20名程度でした。船瀬君は今、私の研究室の准教授で超小型衛星による深宇宙探査を実施しています。中村君は「アクセルスペース」という宇宙ビジネスの会社の社長です。津田君はJAXAで、「はやぶさプロジェクト」のマネージャーを務めました。酒匂君はキャノン電子で衛生開発を始めて、すでに素晴らしい衛生を打ち上げています。何かにのめりこんだ人はその後も大活躍をしています。


  
 東大の航空宇宙工学科の学生の訓練として、1999年から「CanSat」という小型ロケットの打ち上げ実験を、アメリカのネバダ州のBlack Rock砂漠を舞台にして、現地のロケット会社の協力で行っています。これは宇宙の厳しさを体験するよい経験となっています。前述の津田君はこの実験で大失敗をしましたが、この経験が後の「はやぶさ」での成功に繋がりました。
2001年からはComeback Competition という砂漠上の目標地点を定めて、それに如何に近づくかを競う大会に参加しています。着地後にローバー機能を使っても構いません。東北大学ではこの技術を月着陸用のローバーに応用しています。2002年にはFlyback Record 45㎝の記録が、2016年は3年生チームがパラシュートとローバーの技術を使って3.8m、2017年のチームは0mまで達し、それぞれ優勝しました。こうしたCanSat(超小型衛星)の教育的意義は、宇宙開発プロセスの実践的な教育にあります。衛星プロジェクトのマネジメントをすべて学生が行うことでチームワークの重要性を理解します。2000年のCanSatではパシュートと本体が分離してしまうという大きな失敗がありました。こうした失敗は技術者の将来に役立ちます。適当にやっていても誰かが助けてくれるという甘えを持ってはいけません。失敗をしたら自分が責任をもって反省するという経験からは多くの学ぶことができるのです。東京大学では2年生で電子回路やものづくりの研修、3年生でCanSat実習、4年生ではメンバーが研究室の学生として、順にステップアップして、数回の衛生開発を経験したのちはリーダーやマネージャーとして責任をもってプロジェクトを運営します。

 ここで私の自己紹介を行います。出身は大阪です。東京大学工学部航空学科から日本IBMを経て東京大学助教授、さらにメリーランド大学とスタンフォード大学で客員研究員を経て東京大学の教授になりました。私の研究のテーマは「超小型衛星を含めた革新的宇宙システムの自律化と知能化」です。子供のころのアポロ11号の月面着陸とスタンフォード大学で学生による衛生開発の現場を見た経験が、宇宙の研究者としてのモチベーションとなっています。

 2010年から「ほどよし(Just good)プロジェクト」が開始され、4機の衛星の開発と打ち上げの実証を行い、衛星の実用化やビジネス化に取り組みました。ほどよし1号は60㎏のリモセン(リモートセンシング)衛星で、衛星インテグレーションとして熱真空や振動実験が行われました。ほどよし3.4号は、ロシアのヤースヌイ宇宙基地からドニエプルロケットで打ち上げられました。衛星運用室で電波の受信を行いました。その写真をお見せします。

最後に、衛星開発を通じて得たことについてお話しします。一つ目は「のめりこむもの」を見つけた学生の力のすごさ。二つ目は「問題解決」の重要性。三つ目は「自分の限界を見極めること」の大事さです。
衛星の打ち上げを成功させたいというモチベーションをしっかりと保って、成功を遂げた時の喜びは大きく、また次をやりたくなり、それが次へのモチベーションになります。問題解決は順問題ではなく逆問題であり、ある問題を解決するためにどんなことを勉強しないといけないか、という流れで勉強する内容を見つけることが大事だ、ということです。
今から52年前、1968年7月20日、アポロ11号が月面に着陸しました。その時テレビで見たアームストロング船長の言葉や、1972年の大阪万国博覧会で見た「月の石」を忘れられません。私が様々な顔を持った宇宙に乗り出そうとしたきっかけとなりました。皆さんの人生に大きなきっかけを与える、皆さんなりのアポロ11号を見つけてください。
私のお話しは以上です。

*引き続き質疑応答に入りました。ここでは生徒からの質問が絶え間なく続き、予定した時間はあっという間に過ぎてしまいました。さらにセミナー終了後も、個別の質問の列が続きました。
ご多忙の中、本校生徒のために素晴らしいセミナーを実施頂いた中須賀先生には心より感謝を申し上げます。

*中須賀先生のセミナーに続いて、同研究科の髙木周教授からも流体工学という学問領域の紹介をいただきました
これもとても興味深い内容で、高木先生には今後、改めて研究のお話をいただくことになっています。