1月8日(水) 「自調自考」を考える 第324号

 二千二拾年 令和二年、暦注の干支で庚子の年を迎える。
 庚は十干の七番目。結実、形成、陰化の段階を示すと云われ、子は十二支の一番目。子孫繁栄、世代引継ぎで循環していくことで永遠が保たれることを表わす。
 中国古代(紀元前十七世紀ごろ)の哲理として陰陽五行説(万物を陰と陽の二要素に分け、加えて「木火土金水」の五要素を考える)があるが、五行思想では、庚子の組み合わせの年は「金生水」(金属の表面に凝結によって水が生じる状態)を表わす年と考える。
 繰り返しのなかで、常に新鮮な想いをなくさずにいるような良い年にしたいものである。
 太陽暦の正月は、旧暦二十四節気の冬至、雪下麦を出だす候に当たる。農耕民族である我々の祖先は一月の正月と七月のお盆、年二回、収穫に感謝し、豊作を願いそして先祖を敬う儀式を行っていた。正月の神さまは田の神でありご先祖様であった。また正月初子の日に野に出て、小松や若葉を引いて祝う習慣があった。

 新しき年の始めの初春の
  今日降る雪のいや重け吉事
    大伴宿禰家持 万葉集巻二十 四五一六

 日本人はまことに自然のなかで豊かに楽しんで生きてきた。
 ところで、新しい年を迎え、これからの展望を考えるとき、私達は、「時代は青年にとって特に難しいときである」ことに気付かせられる。
 「青年即未来」という言葉があるように、未来が今生きている姿が「青年」なのである。
 その「未来」が誰の眼から見ても全く予測しがたいものとなっているのが現在の状況であると云ってよいだろう。思想史的に云うならば、モダニズム思想(進歩史観)に代わって、全ての価値、客観的な事実と我々が信じていたものは、文明や人種、階級や性別といったバイアスがかかっているものであると絵解きし、価値の多様化、相対化を説きすすめたポストモダニズム思想へと移行した時代が、現在である。歴史は原始から近現代に向かって進歩発展し、その過程でより「真実なもの」が生起し続けると見る進歩史観。一方、価値の相対化多様化を主張した「ポストモダニズム思想」(フーコーやデリダ、そして旗手としてクロード・レヴィストロースの構造主義等)は、未来を予測する為に必要な現在の私達の立ち位置を明確に示すことを大変難しくしてしまった。現在あるどの思想(考え)が私達の将来の夢につながるのか予測出来なくなっている。もっと云えば、この二つの思想潮流は世界的に俯瞰すれば、国によってその勢力が違う。モダニズム思想が支配的である国も存在するし、更に云えば、「知性主義」「反知性主義」の思想的対立も、混乱を一層加速している。
 個人的には、古典や普遍的な価値を認め、擁護していたアラン・ブルームの『アメリカン・マインドの終焉』が懐かしい。
 そこで、当面若者にとっての「未来」は、国連が提唱した「持続可能な開発目標SDGs、アジェンダ2030」の実現から考えたらと提案したい。現在その十七の項目一六九ターゲットは、まだ中身がつまっていないクリスマスツリーの飾りのようなものだが、そのうちの一つでも着実に中身を実現する方向に将来のそれぞれの計画を託したらどうだろう。私にとっては第四の項目「質の高い教育を皆に」になるが。
 自調自考生諸君、どう考える。