10月7日(土)「自調自考」を考える 第303号

 九月、長月。白露初候草露白し。この時期学園は「槐祭」を迎える。九日、十日と二日間、一学期のスポーツフェスティバルと対となる学園最大の文化祭りである。
 今年は「和っしょい」がテーマである。今年の文化祭実行委員達は「日本らしさ」「和風」を意識して、近年続いていた企画の偏りを解消し、文化祭全体のクオリティを上げることを目標とし、これを簡潔に伝えるものとして「和っしょい」をテーマと考えた。「日本的」なるものの象徴として「祭り」を考え、神への畏怖感謝の気持ちが祭りの賑やかさの中に昇華される状態を「和っしょい」で表現したのだと云う。
 祭りの主催者達(文化祭実行委員達)の意図は生きたのかどうか、参加された方々はどう判断されたのか興味あるところである。
 「グローバル化による人の移動で単一の価値観で歴史を見返すことがいよいよ困難になる」(Charles A.Kupchan)時代に生きる若者達の求めるものを窺わせるテーマとなったようだ。
 そして来校された方々は、好天にも恵まれ今迄の最大の記録となる一万五千余人(二日間合計)と大盛況であった。
 恒例の御父母のご協力=今年は特に来場者が多くて大変でした。感謝。
 そして講堂の修理も間に合って音楽、演劇等の音響が最高に改善され演者も聴衆者も大満足であったようだ。また多彩なクラス発表、クラブ発表等、どれもが渋幕らしい素晴らしいものだったと云える。
 そして二学期がはじまった。
 十月、神無月、秋分  秋風のすゑ吹き靡く萩の花  ともに插頭さずあひか別れむ 万葉集 大伴家持
 この別れによって今生の和歌筆録がとだえ、「万葉集」は後半生の家持歌を失うこととなる。
 秋の深まりに応じて咲く「秋の七草」萩、すすき、葛、なでしこ、おみなえし、藤袴、桔梗。特に萩は万葉集でもっとも歌われる花で秋の花としてなじみ深いもの。
 日本では、私達にとって「自然」は自らもその一部となっているもので、「対峙」するものとして意識される「Nature」とは違う。日本で生まれ育った文化は「循環する自然」の摂理に従い、八百万の神を森羅万象の内に観じて育まれた智恵をもって形成されている(循環再生型文明)。
 日本文化では「永遠の存続を可能にする智恵」は滅びとは無縁の「繰り返しの美学」であった。(式年遷宮)
 永遠、時間と云えば、約百三十七 億年前宇宙が誕生した瞬間から「時間」の流れは始まった。科学の進化とともに「時間」の概念は変化する。
 アインシュタインの相対性理論は環境による「時間」の変化を明らかにする。つまり、「時間」が「速度」や「重力」の変化で変わる。また我々は今「加速する歴史」を体験しつつある。狩猟社会=数百万年=、農耕社会=数万年=、工業社会=数百年=、情報社会=数十年=、そして超スマート社会=おそらく数年単位で変化=。
 何も作らない時代(狩猟時代)から、農業、工業等製造する時代を経て、情報が物質やエネルギーに並ぶ世界観の下で人間が生きていく時代に至る。物質やエネルギーは物理原則に従う。然し情報社会で情報は物理原則ではなく人間の創造力に従う。この社会では活発な活動の源泉は人間の持つ創造力。
 高めれば高めるほど活発な活動がまきおこされる。ここでの知能の定義は「情報が不足した状況で適切に処理する能力」を意味することになろう。
 教育はこれを受けて教育の重点とされることが変わってくる。知識(記憶)、計算力も重要だが、メタ認識(自己認識、どう生きる)、創造力などが教育のより重要な要素となってくるのであろう。
 さて自調自考生、どう考える。