3月1日(木)「自調自考」を考える 第307号

 三月、弥生。立春雨水末候。草木萌え動く。
 中国や日本で長く使われた旧暦は太陰太陽暦で、日付は月の満ち欠けに基づくが、一太陽年を二十四等分した立春や夏至などの二十四節気と組み合わせて運用された。二十四節気は季節を正確に表すが、旧暦では毎年日付が変動する。立春は二十四節気では一年の起点。今年は新暦二月十六日に旧正月、立春を迎えた。
 一八七三年から西暦を採用した日本では、旧暦の持つ季節感が徐々に失われ、人々は自然と近しく暮らしていた習慣を失いつつある。
 雨水、この時期の雨を「木の芽起こし」といい、ひと雨ごとに春が来ることを実感する表現である。
 中国では、国民党時代、西暦への全面移行を目指し、旧正月=春節=の廃止を打ち出すが、共産党政権はむしろ春節擁護派で、今も旧正月は中国、朝鮮半島、ベトナムでは盛大に祝われている。
 この時期の中国人の移動は延べ三十億人と云われ、人類の周期的移動として世界最多だそうだ。
 新しき年の初めは弥年に   雪踏み平し常かくにもが 万葉集 大伴宿禰家持
 渋谷教育学園幕張高等学校は第三十三期生の卒業を祝う時を迎え、「槐」同窓生壱萬千余人。意気愈々軒昂の春。
 卒業式の「仰げば尊し」は明治十七年の小学校教科書に登場した一世紀以上経た古風な歌だが、いまだに教訓や感傷性を超えた何かがあって高校卒業式にふさわしいように想える。
 ところで、二〇〇一年に米と英が十年と三十億ドルかけた「ヒトゲノム計画」の成果が公表された。「ゲノム」とはドイツ語で遺伝情報全体を指す。地球上の生物はみなA.T.C.G.で表す四種類の塩基で遺伝情報を伝えるが、それらは長大な有機分子の鎖である「DNA」の上に、いわば文字列として並んでいる。人間の場合は三十億文字で一万冊の本に相当する。DNA鎖が立体的に絡み合って形を成したものが「染色体」。人間は二十三対の染色体を持つ。
 遺伝子とはDNA鎖の上で遺伝的形質を保持する領域のこと。つまり特定の蛋白質を作り、その形質を発現する。尚、生物の定義は膜を有し、膜にエネルギーの交換がみられ、子孫を造るということであり、その最後の条件を支配するのが遺伝情報である。
 メンデルはエンドウ豆で遺伝に法則性があることを見つけたが「遺伝子」の具体的概念はまだなかった。それが、いよいよ人間について姿を見せてきた。(『ゲノムが語る人類全史』A・ラザフォードより)
 現代人は「ゲノム」上では99.9%同じだが、その違いは三百万文字分。これが全てで、私達全てを互いに違う存在にしている。
 今生きている人は全て三千~四千年前に生きて子孫を残した人のすべての遺伝子を持つ。つまり人は数千年もあれば全て遺伝子がかき混ぜられて、全員親族。又北欧系の白い肌、東アジア系の黒い直毛など現代人の地域的特徴が見えてきたのは数千年前とのこともわかった。(もとは皆アフリカ系であった。)更に、ゲノム情報がわかった処から明確になってきたのは、たとえば「悪の遺伝子」を見つけそれをなくすことで悪を根絶出来るか。答えは「ノー」である。遺伝子は可能性にすぎず運命ではない。つまり生命現象を理解するには、ゲノム情報だけでは不充分であることがはっきりしてきた。今注目されているエピジェネティックな特性(DNA塩基配列の変化をともなわずに染色体における変化によって生ずる安定的に受け継がれる表現型)が理解されねばならないようだ。
 今迄の処ゲノム遺伝学で根絶された病気も根治した病床例もゼロ。未来はやはり予測するものでなく創り出すもののようだ。
 自調自考生、どう考える。