3月20日(火)「自調自考」を考える 第308号

 三月、弥生。この時期、学校は三十三期生を送り、新入生を迎える準備に忙しい。
 春分、初候。雀始めて巣くう。
 春を迎える時「暁と曙」がふさわしい。夜が明けようとしているが、まだ暗い時分のことを春暁と云う。万葉時代には、あかときと云い、平安以降、あかつきに変わった。曙は暁よりやや遅れ、夜がほのぼの明けようとするころのこと。
 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。(清少納言『枕草子』第一段より。)
 今年二月十六日は旧暦の元日。日本もかつては旧正月を祝う国であった。現在春節として中国、東アジアでは旧正月を祝う。
 暦には大きく分けて太陽暦、太陰暦、太陰太陽暦の三種類がある。太陽暦-グレゴリオ暦は約365・25日で太陽を一周する地球の動きを基にした暦。「新暦」と云われる。
 約29・5日で地球を一周する月の動きに基づくのが太陰暦。昼間暑く、夜間に活動することが多い西アジア乾燥地帯で多く使われる。太陰太陽暦は、太陽、地球、月の三者の運行を基準にする暦で、幕末使われていた「天保暦」は世界で最も精度の高い太陰太陽暦だと云われる。生活者にとって生活や労働がしやすい太陰暦と季節のずれが出にくい太陽暦を組み合わせたもの。二つの暦の間に生じる年十一日の誤差は十九年間に七回のうるう月を挿入することで調節し、農業生産を基軸とする世界各地で使われていた。
 国際基準として太陽暦使用は重要なことであるが、四季変化の豊かな日本列島に生きる私達は、旧暦の示す季節感、そのなかで育った豊かな感性を持つ日本文化を生かすことで、私達の生きていることの豊かさを想いおこさせる旧暦も大切に残したいものだ。
 春分の次候は「桜始めて開く」。
 山ざくらをしむ心のいくたびか   散る木のもとに行きかへるらん 周防内侍  このころ「辛夷」は沢山の白い花を梢に咲かせる。別名を「田打ち桜」と云い、辛夷の花が咲いたら田打ちをし、稲の種蒔きをする。
 うちなびく春とも著くうぐひすは   植木の木間を鳴き渡らなむ 万葉集 大伴宿禰家持
 潮の干満に大きく関わる「月」は旧暦の要であり、日本の自然の重要な風土と文化に大きな影響を持つ。明治維新から今年百五十年。明治五年十一月九日に「改暦令」が発布され、「十二月三日をもって明治六年一月一日」となる。これは、旧暦での生活や風習を一挙に無にする性急な改変であったようだ。
 西欧近代文化導入という明治維新の改革は当然、他の分野でも大きな摩擦と混乱を引き起こした。そこで、当時の明治政府は、維新の正統性を示そうと「修史事業」に取り組む。明治二年(一八六九年-版籍奉還の年)のことである。この事業は明治二十六年(一八九三年-条約改正の前年)に中断され、明治政府の国家として「正史」の作成は挫折している。(マーガレット・メール『歴史と国家』参照。)
 身分制を解体し、市場経済も導入した近代日本国の「正史」による正統性の証明は日本国のかかえる大変な難問が為に一旦挫折したと云えよう。難問とは憲法調査に欧州に出かけた伊藤博文(初代内閣総理大臣)が述べた、「キリスト教など宗教を国家の機軸にできる西洋とは違い、日本で機軸にできるのは何があるか」の言葉に示されている。
 つまり日本の近代化という明治維新の正統性を証明するには、東アジア独特の文化特性の存在を認めた上で、独立した個性的な自立した個人の存在を認め、双方に目配りをした思想が必要で、伝統的国家の側に立つだけの「正史」作成には無理があったのだと云えよう。
 独立した個人による歴史、文学の企ては、福澤諭吉、山路愛山、夏目漱石などの出現活躍を待たねばならなかったのであった。
 自調自考生、どう考える。