4月7日(土)「自調自考」を考える 第309号

 校内報「えんじゅ」の巻頭言として校長先生から生徒への折々のメッセージが送られます。必ず最後は「自調自考生、どう考える」という文言で締められるとおり、格調高く問題提起が示されます。

 四月、卯月。清明初候。玄鳥至る。全てのものが生き生きするころ。玄鳥、乙鳥、天女…など春の使いの呼び名はさまざま。
ユーラシア大陸(ヨーロッパとアジア)の東端と西端に位置する日本と英国は、同じ温帯でも動植物の種類と数が圧倒的に違うという。日本ではその圧倒的に豊かな多種多様な植物の殆どがこの時期一斉に咲きにぎわう。
 四月八日は灌仏会。釈迦誕生のとき甘露の雨が降ったという云い伝えがあることから、さまざまな草花で花御堂を作り、浴仏盆に誕生仏を置き、甘茶を注いで祝う。
 目には青葉山郭公はつ鰹 山口素堂  この季の日本の人達の気分を鮮やかにうたっている。
 そしてこの時、私達の学校では、新しい「自調自考生達」を迎え、入学式が挙行される。
 「青年即未来」。未来への出発である。
 未来の世紀二十一世紀は大変見通しのつきにくい、予測困難の時代と云われている。それは人類社会が曾て経験したことのない大きな変化によって私達をとりまく社会が大きく変動し、その中で生きる人達の「求められる生き方」が今予見出来る範囲を超えるものだという怖れがあるからだと考えている。
 この大きな変化とは、例えば、現在進行展開中の「世界中におきている グローバリゼーション」が生み出している重大事態、また二〇四五年を技術的特異点(シンギュラリティ)と予測する、AI(Artificial Intelligence)の予想もつかない発展のことで、これらが原因で私達の未来への不安が醸し出されているのだろう。
 これ迄人類社会が築いてきた近代社会の普遍的生き方は「ライシテの原則」であった。公けの場からの「宗教の撤退」原則である。「政教分離」とも云う。欧州社会での三〇年戦争(宗教戦争-一六一八年~一六四八年)の悲惨な体験が生み出した智恵であるが、今日フランスでは「グローバリゼーション」の下、この原則が「イスラム教」との間で激しい摩擦を生み出し、社会混迷の大きな原因となっている。
 フランスで現在展開中の「義務教育段階での宗教によらない道徳教育」はライシテの原則によるものであるが、グローバルな世界では充分にその普遍性を強調しにくくなっているようだ。
 しかし、こうした難問に対して、私達は歴史の理解によって解答を見出せよう。例えば、西洋中世最大の神学者・哲学者トマス・アクィナスは、人が備えるべき「徳」について構想し、聖書とアリストテレスの著作を読み解き、整合的に理解する努力を通して、知性と信仰の二つの立場を理解する世界を作り出している。十二世紀に西欧にもたらされたアリストテレスの著作はギリシャ文化がイスラームの世界を経由して伝わったものである。
 また人は舌で感じた味の五要素、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味を脳で総合して味を判断する。同じように人は、「道徳」の基盤となる要素を感じ取り、それを基にして道徳判断をしているのではないかという「道徳基盤理論」(ジョナサン・ハイト 米社会心理学者、バージニア大教授)仮説もこれからの人の生き方を考える上で大変参考になる。道徳の基盤要素としてハイトは次の六つを挙げている。①弱者は守られるべき(ケア)、②公平、平等(公正)、③所属集団を裏切らない(忠誠)。④伝統や権威に従うべき(権威)、⑤宗教的に潔癖であれ(神聖)、⑥抑圧を憎む(自由)。ハイトはこのどの項目に重点がおかれているかの違いによって人々の政治行動(投票)に違いが出ることを立証している。(『社会はなぜ右と左にわかれるのか』ハイト著)
 人の生き方を考えることはとても重要なこと。
 自調自考生、どう考える。