4月7日(木)「自調自考」を考える 第290号

 校内報「えんじゅ」の巻頭言として校長先生から生徒への折々のメッセージが送られます。必ず「自調自考生、どう考える」という文言で締められるとおり、格調高く生徒への問題提起が示されます。

 四月、卯月。清明初候。玄鳥至。
 大陸の東端と西端で温帯の日本と英国を比較すると、その地形・風土の違いからか、動・植物の種類と数が圧倒的に違うという。その多種多様な植物の大部分の花がこの時期、一斉に咲きにぎわう。
 仏教では四月八日に灌仏会を祝う。さまざまな草花で花御堂をつくり、浴仏盆を置いてその上へ甘茶を注いで釈迦の誕生を慶ぶ。この甘茶で墨をすり「千早振る卯月八日は吉日よ神さけ虫を成敗ぞする」と書いて戸口に逆さに貼ると虫封じになるという風習もある。万葉集大伴家持二首迎春はこの季の日本人の気持を鮮やかにうたいあげる。
春の苑紅にほふ桃の花
下照る道に出で立つ乙女
わが園の李の花か庭に降る
はだれのいまだ残りたるかも
 この時、私達の学校では新しい「自調自考生」を迎える入学式を行う。
 「青年即未来」。未来へ出発する若者達が参加してくる。
 然し、その未来二十一世紀は見通しのつきにくい大変な時代である。予測しにくい最大の理由は、「これからは人類が経験したことのない二つの大きな流れが全てに大きな影響を及ぼしていくから」である。
 二つの流れというのはグローバル化とデジタル情報化のことであると考えている。フランスで人類の文化(生活のパターン)に重要な影響を与える「宗教」が「グローバル化」によって複雑で解決困難で深刻な問題をおこした。
 オランド大統領(仏)が当選の際約束したライシテ(Laïcité)の原則の徹底がイスラム教との関係で深刻な事件を発生させた。
本来、フランス革命以降のフランス社会が、カトリック(キリスト教)と世俗主義を乖離させることで例えば教育の世界からは宗教を排除して、人類の理性に基いたものとするといった行動がライシテの原則による行動なのだが、グローバル化された為にイスラム原理主義という宗教活動との対立抗争を生み出してしまった。
 「フランス国民はいるがフラン人はいない」と云われるフランス、パリでの集団殺戮テロ事件(2015/11/14)と続いてのIS(イスラム国)との戦争勃発。
 この事件は、今後人類社会に継続的に与えていくであろうグローバル化による困難な問題派生を端的に示している。
またコンピュータの発達は、人類に予測出来ないという不安を醸成させている。2045年特異点シンギュラリティ(人類の智能をコンピュータが乗り越えてしまう時代)が来る。学者によっては、来ないという人もいるが、これに対する不安。囲碁の対戦〔米グーグル開発のAI(アルファ碁)と世界トップ碁士〕の結果はこの不安に拍車をかけている。
 何がおこるかわからない時代に生きるには、変化の時代フランス革命時の著作ヴォルテールの『寛容論』が参考になる。有名な言葉「あなたの意見には反対だ。しかしあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」。否定や排除ではなくまずなによりも議論することを大切にしたい。そして人は二つの働きをもつ。一つは智能、もう一つは知性といわれるもの。
 智能は一つの状況のなかで直接的な意味を把握し評価する力。知性は評価を評価し、さまざまな状況の意味を包括したかたちで探し求める力である(リチャード・ホッフスタッター『アメリカの反知性主義』)。知的生活とは「真理を所有することだけでなく不確実なことを新たに問いかけることにある」。「問いかけ続ける(生涯学習)ことにある」。これを教養ともいう。そして明治以来の歴史学(人を行動によって知る方法)に加えて本居宣長の考え実行した「人を言語によって理解する方法」が大変有用になる時代になると考えている。
 自調自考生、どう考える。